吉田健一『書架記』中央公論社、1973年
たまに本箱から取り出して頁を捲ったりする。そんな本は数少ないが、旧仮名遣いの本が読みたくなる時もある。知識としての本はそのうち捨てることになるから、この世におさらばするときまで近くに置いておく本を選ばなければならない。それは何度も読んだ本になる。
『書架記』は後記によれば、本棚にある本や曾てあった殊に愛着がある本の話である。吉田健一は覚えてる引用を本も見ずにするので、それでよいのであろう。うる覚えである私にはできない技である。だからと言って全てのものを持っているわけにもいかないので、500刷まで処分合戦しなければならないだろう。
「ラフォルグの短編集」を読んでいると、今手に入るのが『ラフォルグ抄』(講談社文芸文庫、2018年)くらいで、kindle版でも文庫版でも入手可能だが、500冊に入れるのかというと、どうだろう。吉田健一は「ラフォルグの短編集」を最初に載せている。ただ、「どういうことでも先づ日本語に直した上でなければ日本では通用したいといふのも厄介なもので我々日本人に日本語しか解らないといふのが既に一つの傳説である」(p.10)。そうなると入手困難な本になってしまう。吉田健一が持っていたのはラフォルグの全集であったが戦争で焼けてしまったため「ラフォルグの短編集」は記憶で書いている。

書架記
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