木田元『ハイデガー拾い読み』新書館、2004年
書誌情報
初出は新書館の季刊誌「大航海」43号(2002年7月)〜52号(2004年10月)である。刊行に当たり人名索引、用語索引をつけた。ハイデガー講義録の拾い読みである。2012年に新潮文庫となった。
文庫でよかったのだが、ネットだと文庫の方が高かったので単行本にした。ハイデガーの『存在と時間』を読むために哲学科に入ったと最初に書いてある(8頁)。私はやっと田辺元と木田元を勘違いしていることに気がついた。それくらいだから、ハイデガー入門としてこの本を手にしたわけだ。
10回の連載をその形式のまま本にしたものである。したがって、最初から読むことにする。用語は『ハイデガー事典』で確認すればよいので、木田元氏がタテマエとして翻訳のある著作は除いて講義録の「特別面白い話を拾い出して紹介する」(226頁)というのであるから、持っていて損はない。
そもそもハイデガー拾い読みはハイデガー全集版の講義録の翻訳のひどさが原因であるという。『存在と時間』が『有と時』になるという。今更、〈Sein〉を〈有〉に、〈Seiendes〉を〈有るもの〉に変えられても困る。学者の独りよがりもいい加減にしてほしいが、翻訳の独占権の問題もあり残念なことだ。そもそも原書の校正も酷いということだから、手を出さないことにしよう。
どうも読み進めていくうちに誤訳の指摘の話になっている。この手の話は好物なのでやめられない。
木田元氏は谷沢永一氏のようにズバッというのでなかなかよろしい。
注)第2回ではカントの『純粋理性批判』に残る誤訳を取り上げられていた。カテゴリー表の〈様相〉のカテゴリーの〈可能性(Möglichkeit)〉〈存在性(Dasein)〉〈必然性(Notwendigkeit)〉のうち、〈存在性(Dasein)〉が何かということが問題になる。カントの念頭には〈現実性(Wirklichkeit)〉があったという。すると、〈性質〉のカテゴリーの〈実在性(Realität)〉と〈様相〉の〈現実性(Wirklichkeit)〉はどう違うのか。翻訳者達は本当に理解していたのか。カントの時代に〈Realität〉に〈実在性〉という意味がなかったというのである。言葉は歴史的なものである。現代の意味を機械的に当てはめると誤ってしまうこともある。こんな言葉一つの遣われ方を取り上げてアリストテレスまで遡って解説するハイデガーの講義は気になる。
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