「良寛の悲劇」とは何か

読書時間

山折哲雄『「ひとり」の哲学』新潮選書、2016年

山折哲雄氏は良寛を媒介にして親鸞と道元を呼び出す。

親鸞の柏崎へ配流の跡を車で旅する話では、非僧非俗の親鸞の歩みを追いかけているうち、柏崎ということで良寛が出てきた。

山折哲雄氏は谷川健一の『露草の青 歌の小径』(冨山房インターナショナル、2013年)の目次から「良寛の悲劇」を読んで衝撃を受ける。

谷川健一は良寛に近代人の悲劇をみたが、山折哲雄氏は共感しつつも、中世と近代のはざまに立つ良寛に「中世」の強烈な圧力を感じていたという。

良寛は『良寛詩集』(東洋文庫、2006年)と『良寛歌集』(東洋文庫、1992年)読んだ時に、同じ人とは感じられなかった記憶がある。

山折哲雄氏は「永平録を読む」という詩を取り上げ良寛が『正法眼蔵』を読み耽ったという話をしたあと、以下のように結んでいる。

「良寛はどうやら道元の禅に心を寄せようとするときは、漢語系の言葉の海にわが身をひたそうとしている。それにたいして、親鸞の和讃の世界にこころを近づけようとするときは、いつのまにか和語系の和歌の泉に近づこうとしているようにみえる。漢語系の「心」と和語系の「こころ」の使い分け、である」(P70)。

「心」と「こころ」の話は、去年の夏に夕焼け京都塾で聴いた話を思い出した。

コメント

タイトルとURLをコピーしました