『最澄と徳一』(2021)

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師茂樹『最澄と徳一 仏教史上最大の対決』岩波新書、2021年
徳一(とくいつ)は法相宗の僧で最澄と空海を批判している。本書は最澄との論争である「三一権実諍論(さんいちごんじつじょうろん)がテーマである。
去年、本書を手にしてから、病気で入院したことで、ブログに書かないでうやむやになってしまった。ここにきて、安藤礼二氏の連載『空海』第七章「最澄」(『群像』2023年1月号)で徳一の空海の真言一乗に対して批判が出たところで終わってしまった。次回は2023年4月号である。最澄の大乗一乗に対する徳一の大乗三乗は本書で下地を用意しょう。
対立の構図は仏教の歴史である。
大乗グループが小乗と貶んでいった主流派(部派)の教義はブッダは一人、釈迦仏だけである。一般の修行者は輪廻から解脱する人、阿羅漢となることを目指し、ブッダになるために長期間の修行してる人は菩薩と呼んだ。主流派の仏教は声聞乗(教えを聞くものたちの道)と菩薩乗(ブッダを目指す修行者である菩薩の道)の二乗を区別した(p.ii )。「後に、師から教えを聞くことなく独力で解脱する独覚(ひとりで悟りを開いた人)あるいは縁覚とよばれるゴールを指す独覚乗(あるいは縁覚乗)が加わって、三乗とする説が定着する」(pp.ii-iii)。
大乗仏教の歴史の中で、『法華経』は「生きとし生けるものはいずれブッダになれる」という考え方をとる。三乗説は方便だとして否定する。一乗真実説である。
玄奘三蔵が学んだ『瑜伽師地論』『解深密経(げじんみっきょう)』『成唯識論』は「すべての衆生がブッダになれるわけではない」と書かれており、唯識派は三乗こそが釈迦の真の教えであると三乗真実説を説く。唯識派は修行者の素質(種姓)により、声聞種姓、独覚種姓、菩薩種姓に分かれ(大乗三乗)、例外的に不定性や無性があるという五姓各別説をとる。大乗三乗では、菩薩種姓は仏性と同じなので、『法華経』や一切衆生悉有仏性(生きとし生けるものはブッダとなる素質がある)と説く『涅槃経』の教えと対立することにならざるをえない。
最澄と徳一

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