『最澄と徳一』(2021)その2

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師茂樹『最澄と徳一 仏教史上最大の対決』岩波新書、2021年
最澄と徳一が釈迦の教えをめぐり、互いのよって立つ経論の教えが方便であるとした論争はどういう決着を迎えたのか。
「地獄に堕ちるリスクがあったとしても、言葉を用いた問答によって異なる教えを批判し、また理解しようとしたら徳一。真理を表現することができない言葉が引き起こす論争を、各宗の相互承認によって回避しようとした最澄。両者は、論争における様々なやりとりを通じてそれぞれの態度を表明し、それはまた後の日本仏教にも継承された。最澄と徳一のアプローチを、このように単純化して提示することには躊躇する側面もある。しかし、この二つのアプローチは、仏教における論争が持つ二つの側面を表していると考えてもよいのではないだろうか」(p.218)。
徳一の姿勢については、徳一が空海に宛てて書いた『真言宗未決文』について、師茂樹氏が現代語にして引用しているところを読まないと地獄に堕ちるリスクは分かりにくいだろう。
「ここに述べた様々な疑問は、おそらくは謗法の業となり、無間地獄に堕ちる報いを招くことになるかもしれない。ただ、疑問を決し、智慧と理解を増やし、ひたすら信じることに帰し、もっぱらその教えを学ぶことを欲しているだけである。願わくば、同じく仏法を学ぶすべての人は、ここにあげた疑問によって、かの真言宗を嫌い軽んじることがないように。」(pp.66-67)
ここには宗教戦争とは異なった側面もある。しかし、空海は沈黙をほぼ守ったという。
師茂樹氏の結語は以下の通りである。
「「実用的な過去」であれ「歴史学的な過去」であれ、我々は自己を陶冶するために過去を学ぶこともできれば、他者を傷つけるために過去を用いることもできる。我々は、最澄・徳一論争から、何を学ぶことができるのだろうか」(p.218)。
これも、すこし遡って引用しないと分かりにくい。
「アメリカの歴史学者ヘイドン・ホワイト(1928-2018)は、晩年、イギリスの政治学研究科マイケル・オークショット(1901-1990)の提唱する「実用的な過去(practical past)」「歴史学的な過去(historical past)」という対概念を参照しつつ、前者の意義を強調した。「実用的な過去」とは、個人や集団が抱える問題を解決したり、生存戦略・戦術として用いたりする「過去」であり、「歴史学的な過去」とは、歴史学者などなよって行われる没利害的で、過去を知ることそれ自体を目的として研究されるような過去のことである(ホワイト2017)」(pp.197-198)。
「実用的な過去」が行き過ぎると歴史修正主義になる。最澄・徳一論争にも師茂樹氏は、歴史修正主義の側面があるという。むしろ、自己の正当性を誇示する「(宗教)実践としての過去」(p.199)といえるという。
注)
ヘイドン・ホワイト『実用的な過去』(上村忠男監訳、岩波書店、2017年)
本書は現代の目で論争の決着をつけることの不毛さを書いていた。師茂樹氏は最澄・徳一論争が後世に与えた影響ということで丸山真男の日本思想にたいする批判をあげている。
丸山真男は『日本の思想』(岩波新書、1961年)で加藤周一が日本文化を雑種文化と規定したのを批判している。雑種でなく雑居であるというのだ。『日本の思想』が何を対象にしていたのか。丸山真男の射程は江戸思想まであろうが。師茂樹氏は仏教教団の論争史が雑種を生み出すことはなかったとする。
「私がこの文でしばしば精神的雑居という表現を用いたように、問題はむしろ異質的な思想が本当に「交」わらずにただ空間的に同時存在している点にある。多様な思想が内面的に交わるならばそこから文字通り雑種という新たな個性が生まれることも期待できるが、ただ、いちゃついたり喧嘩したりしているのでは、せいぜい前述した不毛な論争が繰り返されるだけだろう」(『日本の思想』p.71)。
仏教が宗派に分かれ、支配的な宗派を持たずに存在しているのが日本である。これを丸山真男の言葉でいえば「雑居」となる。庶民は宗派の対立要因を突き詰めることはしない。学僧により宗教論争が繰り返された歴史を辿る時、最澄と徳一の論争を辿ることは意義深いものだったと思う。

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