佐々木高政『新訂英文解釈考』金子書房、1980年、2020年第24刷
どうも昭和時代には英語で考えることが求められていたようだ(注)。
佐々木高政の『新訂英文解釈考』のはしがきを読むと、そう書いてある。
「英語を読み書き,話し聴く際にできるだけ日本語の介入を防ぐ,つまり英語そのままで理解し発表するということである.」(ii)。
「そうしたいわばがむしゃらな訓練を他から課されまたは自ら課して始めて英語における言葉の結びつき具合がわかって来る.読んでいて聴いていて次に来るべき言葉がある程度「予測(anticipation)」できるようになる.この「予測」ができるようになるまでには相当な努力の積み重ねが必要であるが決して不可能事ではない.そのもっとも手取り早い道は,言葉の牽引力にしょっばなから注意することである.この内容をこの言葉を使って言い始めたらそれが次にどのような言葉を呼び出し,更にそれが…といった表現の可能な回路を考えることに頭を向けることである.表現の機微に絶えず目と耳を向けることである.そうした訓練の一助にもと意図されたのがこの本の前半である.」(ii)。
「日本語でなら言葉違い一つでその人の育ち,教養,感性から知性まで,またどんな意図,どのような感情をこめて言ったり書いたりしているかがピンピンわかる.それが英語においても出来てほしいという気持が残り半分の陣構えにわたしを向かわせたのであった.読んでその「語気」を適確に捉える触覚(antennae)を育てることがもくろまれている.それへの道は,ある内容をある言い方で決着させている文章を,それに至るまで頭の中,原稿用紙の上での練り直しを,つまり思考と情感の「揺れ」を及ばすながらできるだけ跡づけることであった.」(ii)。
文章を(a)(b)の二通りの書き方で分析してみせる。片方は例えばRussellの本とかOEDなどからの引用である。一方は佐々木高政が違う構文で書いてみせるわけだ。『英語構成法』(1973年)を使って英文を書き直して解釈を示すわけである。お陰で266頁の二段組みを読むことでお腹一杯になること請負だ。
「語学的「予測(anticipation)」能力と感性的「受信(reception)能力を育てるという二つの目標」(iii)のために集められた文章は濃くがありすぎて目眩がする。久しぶりにSteinbeckの文を佐々木高政がリライトとしたのと読み比べて、この言い方しかないことを感じた(P140)。「修辞」とは練り直しの結果である。
(注)松本亨『英語で考える本』英友社、1968年
コメント