『徳政令 ー中世の法と慣習ー』(1983)

読書時間

笠松宏至『徳政令 ー中世の法と慣習ー』岩波新書、1983年

以前読んだ早島大佑『徳政令 なぜ借金は返さなければならないのか』(講談社現代新書、2018年)で中世法の不思議さを感じたのであるが、なぜなぜ感は残っていた。

事務所でTVの下に何気に目に付いたのは笠松宏至氏の『徳政令』(1983年)であった。中世法について笠松宏至氏の本を読んだ記憶は残っていたが、『徳政令』の記憶は全くなかった。だいたい1983年は私の転機となった年であり、実務以外の本は1979年が最後になったと思っていた。本を読み出すのは山が終わった1995年からである。

本書は永仁の徳政令を扱う。永仁五年(1297)当時の政治状況や訴訟について中世の法が語られるのであるが、笠松宏至氏はそもそも当時の人々にとって法の存在は知られていないと云う。幕府法は無名の存在であった(P8)。現代のように六法全書のない時代に法律を認識するすべはなく、六波羅探題の扱う訴訟に法の実在を御家人自らが証明する事例を挙げている(P6)。六波羅探題にそもそも訴訟解決能力がなかったのはどこかで読んだが、法が自明の存在でないことまで思い至らなかった。

永仁の徳政令の全文(漢文の読み下し、現代仮名遣い)を読んでみた。

関東御事書の法(永仁五年三月六日)と関東より六波羅に送らるる御事書の法の写しが東寺伝来の百合文書として伝わっている。笠松宏至氏の口語訳を読んでも難しいと感じた。漢文でこれを読めるのは相当教養があるものでないと無理だと思う。しかも、改竄まであると云う。

話は逸れるが、笠松宏至氏は吾妻鏡の中に偽文書が紛れ込んでいることを指摘し、偽文書の目的が永仁の徳政令の適用のためであるとし、吾妻鏡の成立は永仁五年以降であると考えている(P14)。吾妻鏡の編纂者は偽文書であることに気が付かずに記事にしてしまった。吾妻鏡の成立がそのような事情であるとすると、吾妻鏡は史料批判しなければ使えるものではない編纂物に過ぎないことが納得される。

こういう講義なら何時間聴いても飽きないに違いない。

注)2018年10月2日『徳政令』(2018)

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