井上章一『つくられた桂離宮神話』講談社学術文庫、1997年、2009年第9刷
書誌情報
本箱を探していたら出てきた。井上章一『伊勢神宮と日本美』(講談社学術文庫、2013年)を探した時に、先に読みたいと思ったのは『つくられた桂離宮神話』(講談社学術文庫、1997年)の方だった。しかし、その時は見つからなかったが発刊年が古いことと282頁と薄いこともあり、先に読む方がよい選択だと思ったのだ。単行本として弘文堂から1986年に刊行されているが、文庫版の「あとがき」がおそろしく長いので文庫版がお勧めである。
建築史家と鑑賞眼
井上章一氏は「まえがき」で「いきなり自分の恥をさらすようだが、私には桂離宮の良さがよくわからない」(P3)と書く。
どう受け止めてよいのか分からないうちに、畳み掛けてくる。
「私は、たいへんがっかりした。といっても、桂離宮そのものに失望したわけではない。あの桂離宮をみてもなにも感激することができない自分自身に落胆したのである」(同上)。
ここから、井上章一氏の追求が始まるのである。自分の鑑賞眼を追求してもしかたがないので、世間の評判の方を分析するのである。
井上章一氏と建築史学会
建築史家である井上章一氏は桂離宮に関する文献を渉猟して言説を集めた。時代の制約を離れて桂離宮を見ることが難しいことに自身の痛みを伴う経験で気がついてから、建築史家のバイアスの形成過程に興味を惹かれたようで、桂離宮を題材に言説の作られる過程を見ようとした。建築史学会との関係を文庫版のあとがきにしつこく書いてあるのを見ると、学会といえども人間の集まりに過ぎないことが分かる。学問的に無視されれば学会に止まることはない。会費を滞納し退会となった。そんな恨み節が聞こえるのは『京都ぎらい』(朝日新書、2015年)も同じである。そこでも洛外に住む人間の洛中人へのあるネガティブな感情がこれでもかというほど吐露されていた。
建築史家から見た桂離宮
さて、本書を見ていこう。まず、ブルーノ・タウトが取り上げられる。桂離宮の再発見者に関する言説も賛否両論を取り上げている。日本建築におけるモダニズムの勃興期であることが、桂離宮の再評価に繋がったのだろうか。ブルーノ・タウトの書いたものを注意深く読み直さないと、どうも率直でない井上章一氏のペースに嵌まりそうである。戦時体制の進行にともなうナショナリズムの高揚ために桂離宮がことさらに取り上げられた。
桂離宮の簡素な美をモダニズム建築として評価したり、日本の伝統的様式美として評価したり、あるいは構造を無視したポストモダニズム建築として評価したりする。東照宮と対比される桂離宮は見る者の都合で様々な見方が可能な複雑な要素を持つ建築物である。直線を多用し簡素に見えるといっても素材は選りすぐりの贅沢なものである。まったく節のない天然しぼが入った滅多に見ることのできない貴重な杉丸太が使われているのを見ると、モダニズム建築という評価を与えることの虚しささえ覚えてくる。
やはり、建築史、美術史を押さえておかないと難しいのは分かっているが、それは容易ではないのだ。モダニズムという概念も揺らいでくる。数多く見たものが言葉として私の中に定着していなければ説明がつかないが、その知識が裸の眼で見ることを疎外する。時代の制約となるのだ。知ってしまった以上、無垢ではありえない。
私の桂離宮体験
もう、私の書き方が井上章一氏の主張に沿ったものになっている。私は桂離宮を一度しか見たことはない。TVなどでは何度も見た。参観で解説を聴きながらひと回りしただけである。意匠の面白さを感じたが、統一感はなかったし、建物も御殿には程遠いと感じたものだった。
それでも、見所についてはDVDで繰り返し見ているし、石元泰博の写真集が手元にあるので、この写真を超えるものは見られない気がしている。また見に行きたいかと言われても、光線の良くない時間帯の参観なら、月の桂のDVDを見ていた方がましな気がする。
注)『伊勢神宮と日本美』(2013)
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