『イソクラテスの修辞学校 西洋的教養の源泉』(2020)

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廣川洋一『イソクラテスの修辞学校 西洋的教養の源泉』講談社学術文庫、2020年、kindle版
プラトンのアカデメイアより早くイソクラテスの学校がアテナイに開設された。しかし、一代で終わってしまったイソクラテスの学校については場所も定かでないという。
廣川洋一は古代ギリシア人の人間形成に必要なものパイデイアーは教育・教養であつたという。
「ギリシア・ローマ文化の伝統を全体として理解するのに、〈パイデイアー〉の視点からそれを試みることが、少なくともひとつの正しい道だと考え」たという。
—『イソクラテスの修辞学校 (講談社学術文庫)』廣川洋一著
「教養の内実には二つの型があることを私たちは認めなければならなかった。プラトン・アカデメイアにおいて組織的に行なわれた、いわば数学的哲学的教養と、イソクラテスにおいて確立された文学的修辞的教養である。」
—『イソクラテスの修辞学校 (講談社学術文庫)』廣川洋一著
著者は、プラトンのアカデメイアの科目とイソクラテスの科目を比較して古代ローマへ受け継がれたのはイソクラテスの方で、アカデメイアが滅んだ以降、ルネサンスまでプラトンのアカデメイアの理念は受け入れられていないという。
「プラトン的・数学的教養の理念は、一六世紀後半から一七世紀のヨーロッパにおいて、ケプラー、ガリレイ、コペルニクス、あるいはベーコンやデカルトらによってふたたび強力に推し進められたといえるだろう。」
—『イソクラテスの修辞学校 (講談社学術文庫)』廣川洋一著
著者は、イソクラテスとプラトンのの立場の違いをまとめている。
「ギリシア的教養における二つの理念は、哲学思想の領域では、道徳的・実践的な価値が学問・知識の対象とならないことを主張し、人間の行為や生きかたにかかわる問題を厳密な学知──数学・幾何学などに代表される──と同列に考えることを否定する立場(イソクラテス)と、実際生活における言論と行為の指針となるべき価値の規範もまた、あるいはむしろこれこそ最もよく厳密な学知として把握さるべきものとする立場(プラトン)として理解することができるだろう。」
—『イソクラテスの修辞学校 (講談社学術文庫)』廣川洋一著
kindle版だとページの概念がないので、引用はkindleのやり方によった。

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