『姿なき司祭』(1970)

読書時間

埴谷雄高『姿なき司祭 ソ連・東欧紀行』河出書房新社、1970年

甘夏書店で本を買った帰りに、教えてもらった「古書と肴 マーブル」さんへ初めて伺う。19時半の開店間際で忙しく、ハートランドビールだけもらって、背後の本棚の本を眺めていたら、埴谷雄高関係の本が多いことに気がついた。この間(といっても去年の4月のことだが、年寄の時間感覚では最近ではない以前について使う)埴谷雄高の『欧州紀行』(1972年)を読んでいたことを思い出して、その続きではなくその前の『姿なき司祭』(1970年)を手に取り、買い求めることにした。立ち飲みなので、グラス片手に読むことにした。このスタイルで本を読むのは記憶にない。

そもそも、ソ連などという今はない国の紀行を読む楽しみはSFやミステリーと変わらない。違いがあるとすれば、リアリティについて余り疑うことなく味わえることだろう。記録であるか記憶であるかの違いもあるが、小説家同士の旅であれば、空想も記憶の内である。昭和43年7月から十月にかけての旅行のうち、最初の、カルカッタ、イスタンブール、モスクワ、ラーニングラード、ワルシャワ、ブダペスト、ウィーン、プラハ、ベルリン、ストックホルムが旅程である。社会主義諸国の紀行をまとめて本にしたのが本書に当たる。

埴谷雄高がカルカッタ空港での航空機の車輪のアクシデントを回想するところから始まる。そのためソ連に向かうルートが大きく迂回させられて、モスクワに着いたのは1日遅れだった。同行者のT君とは辻邦生のことである。いきなり、モスクワの空港で《カフカ的状況》が始まり、さしたる説明のない中4時間待たされることになる。官僚国家ソ連の洗礼ともいうべき対応に埴谷雄高は苛立ち、そして恐れる。姿なき司祭の支配なのか。紀行といっても見聞をそのまま書くというより、埴谷雄高の内面の葛藤が書かれており、どこまでが真実なのか、創作ではないのか疑問もある。省略されていることも多く、紀行だから事実を書くものと思ったら大間違いである。松尾芭蕉が『奥の細道』で創作をしてみせたことで、フィクションも混じるものだと心得ている。『River-Horse』のように紀行文の形を取ったフィクションすらある。

注)William Least Heat-MoonのRiver-Horse(2013年)は架空のアメリカ横断の船旅だった。

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