『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読』(2001)

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鎌田東二『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読』岩波現代文庫、2001年、2012年第6刷

『銀河鉄道の夜』は初期形第1次稿から最終形といっている第4次稿まである。未完の物語であった。『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読』では資料として筑摩書房刊行のちくま文庫版『宮沢賢治全集7』を底本として使っている。読者は資料である「銀河鉄道の夜」を読んでから著者の論考を読むことになるが、それに気がつくのは序章を読み、第1章の8頁で著者が資料に言及してからである。

資料は165頁から334頁まである。したがって、鎌田東二の論考は164頁までとなる。著者はこれを書下ろした。

著者は宮沢賢治を「鳥シャーマン」と捉えている。「宮沢賢治は鳥の方向感覚と言葉を持つ鳥シャーマンである、というのが私の基本的な宮沢賢治観である。鳥シャーマンは、風の流れを読み、天の気と地の気を探知し、その気息と気脈に沿って飛翔の方向を定め、天と地を行き来し、さらには異次元界に参入する」。

著者が考える原始シャーマンには、鳥シャーマンと蛇シャーマンの2つの類型があるという。「鳥シャーマンの特徴は、天空・風・飛翔・脱魂・霊界遍歴であり、蛇シャーマンの特徴は、大地・水・神懸り・憑霊である」。「宮沢賢治は鳥シャーマンの類型の典型的な末裔であり、」「『銀河鉄道の夜』はその鳥シャーマンの孤独と栄光が端的に物語られている」とする。

第4次稿までを比較しながら宮沢賢治を読むことにどういう意味があるのだろうか?

確かにブロカニロ博士は第3次稿までにしか出てこない。

もともとこの本は鎌田東二編著『モノ学の冒険』(創元社、2009年)からつながる私の読み方で買いもとめたものである。同じ著者の本をまとめて読むのが私の嗜好である。著者が自身の本を宣伝し過ぎるきらいもある。関連図書を読んだとて理解が一層深まるとも思えない。時は思考の成熟をもたらすだけでなく、未熟さも明らかにしてくれる。

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