『老子』(2008)その2

読書時間

鉢屋邦夫訳注『老子』岩波文庫、2008年、2019年第18刷

中国の古典を読むには個々に『老子』や『荘子』、『論語』や『孟子』を読むのと、東洋哲学を論じた『意識と本質 精神的東洋を索めて』、『意味の深みへ 東洋哲学の推移』や『コスモスとアンチコスモス 東洋哲学のために』などを読むのとどちらがよいか迷う。無論、後者は読むこと自体が難しく、前者は断片的なテキストを前にどう解釈してよいか分からない。

根本概念があるのかないのかは議論の余地があるだろう。あるとすれば根本概念をもとに読む方が解釈の海で溺れなくてすみそうだ。

鉢屋邦夫氏は第一章の注で、道理としての「道」と老子哲学の根本概念として、理法としての「道」があるとでさらりと書かれている。道理は道徳かと思うが、「根本概念」とか「理法」となるとその意味が分からなければ理解は進まない。そもそも「理法」とはどこからきた言葉なのだろうか。そこで解説を読んで老子の思想の重要な概念を確認することにした。

子安宣邦先生は井筒俊彦の東洋哲学という枠組を基に朱子の『朱子語類』を読み直している。朱子は性理説として「天」の「理法」を説いているが、「道理」の面が強いのではないかと見通しを述べている。この整理ができるのは「天」の概念を考えなければ無理で、『論語』や『老子』のテキストを読んでも薄っすらとしか分からないのである。

というわけで、しばらく放置していた井筒俊彦の本を読むことにしたい。先達が拓いてくれた道(ルート)を辿ることで、山を登ってきたことを思い出したのである。

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