『京の路地を歩く』(2009)

読書時間

高沢英子『京の路地を歩く』未知谷、2009年

著者の高沢英子氏の出身は伊賀上野です。伊賀でも路地を「ろおじ」と発音するのは関西弁というより京ことばのようです。伊賀は京ことばに近いとのことでした。京都人ではないので、京都の行事に関心を持って見聞きしてきたのでしょう。京都人は寺社巡りは普通しないものです。

京に関するエッセイを読むと、気持ちが安らぐのは、その土地を少しは歩いたので、他所より身近に感じられることかもしれません。北野天神さんの境内の長五郎餅の茶店が開くのは何か行事がある時で、普段の日は閉まっています。仄暗い茶店の中で緋毛氈の敷かれた縁台で長五郎餅と煎茶をいただく話など、火鉢の記憶と共に思い出します。著者は「仄暗い」とは書いていませんが(笑)、引戸を開けて中に入ると、仄暗い明かりでちょっと戸惑いました。節分の時ではなかったので、梅苑が開いていた時でしょうか。記憶は定かではありません。

著者は四季の京都の行事に出かけて、芭蕉などの俳句を添えて楽しませてくれます。アンソロジーのお手本です。無季の部立の因幡堂の話では、梅原猛博士の話が出てきて笑ってしまいました。梅原猛が博士とはありえないので、著者である高沢英子氏が博士という尊称を付けたと思うことにしました。梅原猛の『京都発見(2)路地遊行』(新潮社、1998年)で因幡堂薬師の不明門の話が書いてあり、私はすっかり忘れていましたが、このシリーズがある本棚にようやく手が届くところまで来ましたので、原典からメモしておきます(注)。京都育ちでない方が京都三昧できるかもしれませんね。そんな気にさせる高沢英子氏のエッセイは素晴らしい小品でした。

注)因幡堂の不明門

「烏丸通から一筋東の七条通から松原通までを不明門(あけず)通と言う。この通りは因幡堂の南門に突き当たる。因幡堂の南門はもともとは、開かずの門で、一筋西の烏丸通に折れ曲がった西の門から入らねばならぬので、この南門によって、不明門通と名付けられたと伝えられる。それはちょうど、市電を自分の寺の前を通さず、通りを大きく湾曲させた東本願寺の権威を思い出させる。因幡堂も、このメインストリートをここで湾曲させるほどの権威を当時は持っていたのである」(因幡堂と橘氏 P9)。

『京都発見』を読むと、美術史家の井上正氏など専門家が史料提供・訓読、仏像解説等々を指導している上、西川照子氏が案内人・脚注執筆しています。本の作り方としては文句のつけようがありません。何より井上隆雄氏の写真が雰囲気を出しています。高沢英子氏が見ていないと書いていた「光明真言」の織物の写真を見ると、京都非公開文化財特別公開で因幡堂が公開された時に、小督の髪の毛を緯糸(ぬきいと)と一緒に織り込んだと伝わる「光明真言」がガラスケースに入れられていたことを思い出しました。

龍谷ミュージアムで企画展「因幡堂 平等寺」が2019年4月20日(土)〜6月9日(日)に開催されましたが、出展目録にはなかったので、見に行きませんでした。出不精になったものです。

#京都

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