『マキァヴェッリ 『君子論』をよむ』(2019)

読書時間

鹿子生浩輝『マキァヴェッリ 『君子論』をよむ』岩波新書、2019年

戻ってくるところはマキァヴェッリである。この政治思想家は誤解され続けていると著者の鹿子生浩輝氏はいう。その原因は「マキァヴェッリの置かれていた歴史的状況や彼が取り組もうとしている課題を後世の人々が見過ごしてきたことにある」(P249)。

歴史から学ぼうとする人々は、彼の歴史的背景を考えずに、彼の提案を現代に当てはめてみて、有効であるかどうかを吟味する。現在の価値観に近いものを是とするものでしかない。

私が近代政治思想史を習ったときは、マキァヴェッリから始まった。今から思うにマキァヴェッリ(1469ー1527)をホッブス(1588ー1679)やロック(1632ー1704)と同列に扱うのは違和感があった。マキァヴェッリはルネサンス期の政治思想家である。近代国家を論じたわけではない。『ディスコルシ 「ローマ史」論』(ちくま学芸文庫、2011年)を読めば、彼の理想が共和制期のローマにあることが分かる。あるいは、『フィレンツェ史 上下』(ちくま学芸文庫、2018年)でフィレンツェ共和国の歴史を論じているのである。

彼が誤解されたのは『君主論』を一般論として読もうとした人々からであろう。鹿子生浩輝氏は「彼はその作品で、メディチ家が新君主国という特殊な政治状況に直面しているゆえにその状況で君主が取るべき行為を考察している。にもかかわらず、そこでの助言はあたかも君主国一般に対するものだと理解された。彼があえて伝統的な議論を覆し、挑発的に論じたことも、その誤解に拍車をかけたのではなかろうか」(P249)と書いている。

では、我々は『君主論』をどう読んだら良いのだろうか。著者と一緒に読んでみることにする。

コメント

タイトルとURLをコピーしました