今谷明『現代語訳 神皇正統記』KADOKAWA、2015年
1.統一
北畠親房の『神皇正統記』の現代語訳である。『神皇正統記』は(南朝の後村上天皇のために書いたという説もあるが、誰のために書いたのかは定説をみていないと今谷明氏はいう。)南朝の正統性を述べたもの。
2.本書の意図
今谷明氏は『神皇正統記』を北畠親房による”王権論”であるとする。「歴史書の体裁をとってはいるものの、イデオローグの書といった面が強い」として、歴史書として評価するのは難しいとしながら、「歴史書と読まれうるように心がけ」「煩わしいと思われるくらい、註記を多く書いた」。
3.本書の読まれ方について
(1)『愚管抄』との比較
慈円の『愚管抄』を歴史書としてでなく、慈円の政治思想として読むことを長崎浩氏が書いていたのを思い出した。
長崎浩『乱世の政治論 愚管抄を読む』(平凡社新書、2016年)
我々にとって『愚管抄』はどういう書物であって、どう読まれてきたかが政治思想史の上で重要であるとしたら、『神皇正統記』もどう読まれてきたかが問われなければならない。岩佐正「神皇正統記はいかに読まれたか」(日本古典文学大系『神皇正統記・増鏡』解説)が主要参考文献にあげられている。
(2)『神皇正統記』を歴史家が扱わない理由
今谷明氏は『神皇正統記』を国文学者が校注(・現代語訳)していて、歴史家が扱っていないという。平泉澄の「皇国史観」の影響があるとみている。『神皇正統記』が戦後の評判の悪いことは、呉座勇一編『南北研究の最前線』(2016)でも言及されている。
岩佐正、時枝誠記、木藤才藏校注『日本古典文学大系〈第87〉神皇正統記・増鏡』(岩波書店、1965年)
岩佐正校注『神皇正統記』(岩波文庫、1975年)
北畠親房著、松村武夫訳『神皇正統記』(教育社、1980年)
(3)岩波書店の編集方針について
国文学者が『神皇正統記』の校注をしている件については、岩波書店の編集方針の問題である。
日本古典文学大系もそうだが、日本思想大系の編集方針についても、日本の儒学について、日本思想史家でなく漢文学者が校注していると子安宣邦氏が批判している。中国の漢学を理念型として、日本の漢学を低くみる態度である。
そもそも、『神皇正統記』は日本古典文学大系で扱うのがよいのか、日本思想大系で扱うのがよいのかといった問題意識がある。
4.本書の感想
北畠親房の『神皇正統記』は一月余りで書かれた書物であるという。日本史で習っても読むことはほとんどないが、現代語訳をさっと読むだけでも、考え方の違いが分かってよいと思う。好事家向きである。文庫とはいえ574頁ある。しかし、註記が多いので、太文字の本文だけ読んでいけば大したことはない。
5.山田孝雄校訂『神皇正統記』(岩波文庫、1934年)
一穂社が岩波文庫を復刻したもの(2004年オンデマンド版)を以前に読んだことがあった。好事家といえども解説が頭に入らなかったのを思い出したので、ここに記録しておく。付箋だらけになっている。
コメント