清水克行『室町時代の騒擾と秩序 増補版』講談社学術文庫、2022年、kindle版
サンプル版で読み始めた。中世文化を扱うにしても、北山文化、東山文化という切り口は芸術や唐物趣味であり、文化という観点を広げれば、法慣習や民間習俗も文化であるに違いない。勝俣鎭夫氏の本も住宅検断という法慣習を扱ったものと考えれば、私の法制史の見方も少し変わってくる。記録の有無からすれば、訴訟に関わる文書が多く残っているので、中世史研究は法制史の観点から研究された論文を読むことが多い。これらは文化の研究でもあった。手紙や日記が史料なので文字の歴史となるが、崩字が読めない私は絵画の歴史を中心に見てきたことになる。絵画も賛などディテールに踏み込めば文字が読めなくてはどうしようもない。
「御所巻」というと貞和五年(一三四九)八月十四日に高師直が足利尊氏邸を取巻いて足利直義の罷免を要求した事件をまず思い浮かる。しかし、清水克行氏が「御所巻」という歴史用語も、編纂物以外で使われた例は2例しかないと書いていたので、歴史家のストイシズムに呆れるとともに、定義を確認すると佐藤進一氏をあげていたので、なるほどと納得するのであった。清水克行氏が「おわりに」でまとめているところをメモしておく。「御所巻」は、康応元年(一三八九)を上限〔(C) 〕、慶長十五年(一六一〇)を下限〔 (F)〕として使用された室町時代語である。 「御所巻」は、室町殿権力への異議申し立てを目的として、諸大名が室町御所を包囲する行為である。
論文の方が読みやすいのは、論旨が明解で短いからだろう。一度に読みきれない長さのものは記憶が追いつかないので読むモチベーションが続かない。
注)〔(C)〕『神明鏡』の康応元年条、〔(F)〕『永禄記』の永禄八年(一五六五)五月の将軍足利義輝の謀殺を扱った記述。『永禄記』の成立は『信長公記』の影響が見られるとして一六一〇頃としている。
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