村岡典嗣校訂『うひ山ふみ 鈴屋答問録』岩波文庫、1934年、1977年第18刷
「答問録」ついて村岡典嗣が解説で「就中、神道論に關する説など、他の諸著に述べられたところを、補い得べきものもある」と書いていた。子安宣邦先生が講義で本居宣長の神道論を取り上げた際に、本書を参考文献として便利なものとして推薦する理由であろう。講義で使った資料だけでよいのであるが、原点に当たるクセが付いているので本書を入手した次第である。やはりその意味もあって、本書が版本によらず写本によっていることや、版本より省略していることが分かった。これらは些末なことだけれどもテキストの品質に関する示唆を与えてくれる。村岡典嗣は宣長自筆本による校訂はしていないと書いてる。
「あの世と死後霊魂の行方」の講義では「答問録」の12が引用されていた。ここでは、本書からポイントだけ引用した。
<12>神道の安心(あんじん)
「神道に安心といふことなし」(P88)
「神道の安心は、人は死候へば善人も惡人もおしなべて、皆よみの國へゆくことに候」(P89)。
「さて其のよみの國は、きたなくあしき所に候へども、死ぬれば必スゆかねばならぬことに候故に、此世に死する程悲しきことは候はぬ也」(P90)。
宣長は安心を与えない。これは、後に平田篤胤の批判するところとなる。平田篤胤は霊魂の行方を追求した。
宣長にとって古事記、日本紀の上古の處に書いあることが真実というロジックなので、死後の世界が「人の智を以てはかり知るべきことにはあらず」(P87)ということは、儒教、仏教そして老子と同様に宣長の論にも言える。この二典(みふみ)のいうことが信じられようはずがない。
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