『風神の門』(1969)

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司馬遼太郎『風神の門』新潮文庫、1969年、1980年第25刷

NHKテレビ水曜ドラマに『風神の門』が取り上げられたとき、平賀源内を主役にした『天下御免』(1971年)以来のおちゃらけ番組だったと記憶している。三浦浩一の霧隠才蔵と多岐川裕美の隠岐殿の恋の行方を楽しんだものだ。

霧隠才蔵が従者の孫八を伴い、八瀬の里へ向かうところから始まる。そこで隠岐殿の匂いを嗅ぐことから物語が始まる。

「京から八瀬までは、三里ある。高野川をさかのぼって、洛北氷室ノ里をすぎると、にわかに右手に叡山の斜面がせまり、前に金比羅山(こんぴらさん)がそびえて、すでに山里の感がふかい。」

大阪城が落城して、才蔵は隠岐殿を救い出し、逃げ落ちる。そして、辿り着いたところは八瀬の里だった。振り出しに戻った感がある。

「「はて」とつぶやいた。ひどく明るい表情で思案している。このさき、どう世を送るかということらしかった。

そのとき、谷を渡る風のむきがかわったのか、瀬音が手枕のそばを走り渡るほどにちかぢかときこえた。

「あきうどきでもなる」

才蔵はむしろ、このさきの自分の運命を楽しんでいる表情であった」。

10月の八瀬の里に八瀬赦免地踊を見にいったことがある。夜だったが、山深い里を感じた。司馬遼太郎も高野川のせせらぎの音を聴いて想像力を膨らませたのだろうか。

多田道太郎の解説に、忍者小説であるが、主人公に二流の悲哀とか嗅覚に都会人の感性を感じると書いてあった。もっともだと思う。八瀬の釜風呂で嗅いだ隠岐殿の匂いに恋をする忍者の設定は、立川文庫のチャンバラを書くことができない現代人の感性そのものなのであろう。

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