『小説日本芸譚』(1961)

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松本清張『小説日本芸譚』新潮文庫、1961年、2008年第35刷

小説家の想像力を感じた。そこで運慶が衾の中で身体を動かすのが見える気がした。

「父の康慶は何かを創り出そうとしてが、まだ発見には到達していたかったと運慶は思う。その証拠に彼が十七、八のころに父の指図で造った蓮華王院の千手観音は在来のものと型が殆ど同じである。定朝が造り出した様式から抜けてはいなかった。どんな才能ある人間でも、時代の様式の固定観念の中に、暫くは跼まねばならないのだ」。

「宣瑜が帰ったあとでも、運慶の気持ちは容易に和まなかった。一旦、投げ込まれた泥はひろがって濁った。」

世間、前田恭二のいう「社会」が近いのだろうか。芸術家が外部世界との関わりで己の評判に無関心でいられようかという清張のプロットが以下の、世阿弥、千利休、雪舟、古田織部、岩佐又兵衛、小堀遠州、光悦、写楽と続く。

最後の止利仏師はプロットが成立しない。記録が定かでないためだろうか。小説家に書かせるという二重構造にして、しかも、できなかったと終わるのである。

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