谷川健一『青銅の神の足跡』集英社、1979年第2刷
神社の起源を巡る旅を続けているなかで、時々思い出したように手にとる本である。神社の起源の一つを古墳時代の土地の有力者を祀った墓所とする以外に、銅鐸が埋められた聖地として弥生時代に遡れるものもあるというのが著者の主張である。
著者は「古い地名、伝承、氏族、神社。この四つを組み合わせることで、文献記録だけではたどれない古代に遡行することができると考える 」(P17)。
この本は、日本民俗学が稲作文化に固執し、金属器文化に注意を払わなかったという批判の書である。
我々の祖先は稲作中心の生活をしてきたので、信仰も稲作の論理で考えて怪しまない。職業が異なるにつれてそれぞれ信奉する神も違うということを深く配慮していない。その例として、風神を挙げている。原始的な製鉄である「のだたら」には風が必要だ。強風歓迎なのである。その風神は農作物に被害を与える風をしずめる神とみなされるように変わった。自分の頭の中が農業神中心の見方で成り立っていることを知ることで「懐疑心」が生まれることはよいことだ。
龍田の社は製鉄をおこなった金山神一族が祀っていた。嘗ては鉄の神であったが、農耕の神とされてしまった。風鎮大祭で手筒花火を喜ぶ様は、祖先の血を受け継いでいるからと考えるのも面白い。
能の「小鍛冶」を観ていて、伏見稲荷は鍛冶屋の神でもあると思った。年中行事であるお火炊祭は五穀豊穣に感謝するが、この日は鞴祭りとして鍛冶屋が仕事を休み稲荷に供えして守護神を祀る日だった。お火焚きがたたらに見えてくる。お火焚きについても読み直しが必要かもしれない。
目次で見取図が明らかだろう。序説は節をメモしたが、あとは多いので省略した。目次に手を抜いていない本は良い本と谷沢永一は書いていたのを思い出す。Amazonでは第一部第二章まで詳細な目次を説明していた。
序説 耳と目の結婚
戦後『記紀』批判論の有効性と新たな方法論の確立
古代への架橋としての古地名・伝承・氏族・神社の組合せ
稲作文化偏重が生む日本民俗学の致命的暗部
金属神から農耕神へーー二つの文化の逆接構造
耳族の出自と鍛治技術との関わり
北方系征服族に先行する稲と金属の民
第一部 青銅の神々
第一章 銅を吹く人
第二章 目ひとつの神の衰落
第三章 最 最後のヤマトタケル
第四章 天日槍の渡来
第二部 古代社会の原像をもとめて
第一章 垂仁帝の皇子たち
第二 青の一族
第三章 海人族の系譜
第四章 江南とのつながりと銅鐸
終章 遥かな過去への遡行
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