『論集日本歴史4鎌倉政権』(1976)

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北爪真佐夫、黒川高明編『論集日本歴史4鎌倉政権』有精堂出版、1976年

野口実氏が日本中世史を論じるには「先行研究の咀嚼と反芻」が必要とのことでTwitterにあげられていた本の一つである。

鎌倉政権の論集とばかり思っていたら、巻頭の石井進「日本中世国家論の諸問題」にいきなり殴られた気がした。

節のタイトルを並べてみるとよく分かる。

1.《中世国家論》はなぜ問題とされ、現在の学界ではどのように議論されているか

2.日本の中世に単一の《国家》があったというのは、それほど明瞭な事実なのであろうか

3.中世国家の前提である古代律令国家の統一支配をどのように評価するのか

4.《中世国家論》はいかにあるべきか

黒田俊雄の「権門体制論」に対する永原慶二の批判から始まり、ふむふむと思って読み進めていたら、石井進が高柳光寿の「中世無国家時代」を持ち出して揺さぶりをかけてきた。

「苅・蒔というような、原始的な田積の単位をひろく残している状態を前提として、班田制・条里制の全国的一般的な実施を想定しうるであろうか」(P7)。

「はなはだしいまでに多種多様な枡の混用が、近世社会への推転にともなって漸次統一に向かって行く、という中世の量制の展開方向をみとめた上で、それ以前には劃一的な律令の国家公定枡制度が、ひろく、深く日本社会の底辺までをとらえ、全民衆的な規模で有効であったと考えることができるであろうか」(P7)。

「とくに枡の歴史については、かつて古代律令制下では国家公定枡であったが、中世への転換につれて制度がみだれ、信じられぬほどの多様な枡を生み出した。やがて近世の成立とともに、再び公定枡の制度が確立した。それはまったく中央統一権力の強度の反映である、とする理解が一般的常識であるかとおもう」(P7)。

古代律令国家のあり方を問う鋭い指摘であった。権門体制論の前提の国家論を問うのである。

その観点で大津透氏の『律令国家と隋唐文明』(岩波新書、2020年)を注意して読んでいこうと思う。

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