宮崎市定『現代語訳 論語』岩波現代文庫、2000年、2004年第6刷
為政第二を読む。
19 子曰。道之以政。斉之以刑。民免而無恥。道之以徳。斉之以礼。有恥且格。
宮崎市定は評釈を加えていなので、子安宣邦『仁斎論語 上』(ぺりかん社、2017年)を取り出す。
まず、為政篇の最初から読む。
17 子曰。為政以徳。譬如北辰居其所。而衆星共之。
宮崎市定は「為政以徳の四字は恐らく古語で、有徳の君主の政治のあり方を言ったものであろう」(P20)と言う。
子曰、為政以徳、譬如北辰居其所、而衆星共之。
子安宣邦は「為政篇冒頭の章は、いわゆる徳治主義の原典ともいうべき言葉からなる」(P57)とする。
「徳」とは何かが明らかにならなければならない。仁斎は基本的に朱子の解釈によっているが、異なる点に留意して読んでいく必要がある。
「朱子が徳を心に得る徳性をいうのに対して、仁斎は仁義礼智といっているところにある。仁斎のいう仁義礼智は心の徳ではない。それは人間世界の道徳的基準である。ところで徳治主義が為政者の有する徳性を重視した政治のあり方をいうとすれば、朱子の説くところがまさに徳治主義だということになる。では仁斎のいうところは何か。為政者の有徳性を前提にした徳治主義をいうのではなく、政治は道徳を本とせよという道徳主義的政治をいうように思われる」(P57)。
さて、19に戻る。
道之以徳。これは「道之」は民を導くことなので「為政」と同じである。
為政以徳の言い換えである。
斉之以礼。「礼」とは何か。
子安宣邦の評釈を読む。「仁斎はここで「礼」を朱子に従って「制度品節」と解している。これをその通りに解すれば、「冠婚喪祭の儀式又は親戚郷党の交際、車馬衣服の制度に至るまで、皆貴賤上下の等級ありて僭越すべからざる」(簡野論語)こととなるが、仁斎はそのように解したとは思われない。彼は「徳」を孟子によって、村々で教えられる道徳と解したように、「礼」も各地で継承されてきた習俗儀礼の節度あるあり方と解していると思われる」(P61)。
ここだけは答えがでない。『論語』の厄介なところだ。
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