『文學者となる法』(1995)

読書時間

内田魯庵『文學者となる法』図書新聞、1995年

「サルでもなれる文学者」という帯をみて、相原コージ氏の名著『サルでも描ける漫画教室』シリーズを思い出すことがなければ買わなかったかもしれない。このコピーには「100年前の文学マンガ」とも書いてあった。

解説を書いたフランス文学者の鹿島茂氏(現 明治大学教授)はぺりかん社の職業案内シリーズの中の『作家になるには』(野原一夫、1980年)を取り上げ、作家と文学者の違いを述べた後、できれば「フランス文学者」という肩書から「フランス」を取りたいと書いていた。鹿島茂氏はぺりかん社の「なるにはBOOKS」シリーズの存在を知ったことで「文學者となる法」にこだわるようになり、図書館に最新式のコンピュータが導入された際に、書名を検索して、三文字屋金平の『文學者となる法』(右文社、1894年)を探し当てたのだった。ここでも、三文字屋金平(さんもじやきんぴら)が内田魯庵の変名と知らなければそのままとなったのかも知れない。

内田魯庵が明治27年に文學者を匿名で徹底的に笑い飛ばしていた。ああ、サル漫の文學者版である。鹿島茂氏は文學者らしく、解説のタイトルを「ユーモアに溢れた痛烈なる「文学者」批判」としているが、終わりには、「文学者となれ! 文学者となれ! 猫も杓子も文学者となれ!」と三文字屋金平の言葉で締めくくっている。ノリが分かるというものだ。「文學者」談義は、読者家か愛書家かという終わらないテーマのうちの一つである。

凡例情報

漢字は常用漢字表の新字体、振り仮名は現代仮名づかいに改めてある。脚注を施している。面白いのが内田不知庵(のちの魯庵)が著者であることを肯う発言はないと最初に書いてある。それほど反撥を招いた本だった。しかし、平成の読書子には明治の文体を読むのは聊か難しいと言わざるを得ない。

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