木村毅『丸善外史』丸善、1969年
内田魯庵『文學者となる法』(図書新聞、1995年)の解説で鹿島茂氏が木村毅の『丸善外史』(1969年)の中で内田魯庵に突き当たったと書いていた。
偶々、古書肆右左見堂にあったので手にした。第五章を内田魯庵に充てていた(P195〜268)。全376頁なので2割弱を割いていることになる。第六章 学鐙も内田魯庵の息がかかってるので、内田魯庵が出てこないでは済まない。
折込口絵は日本橋開橋式(明治四十四年四月)記念絵葉書より作られていて、左端に明治四十三年に新築した丸善社屋がある。
『丸善社史』(1951年)があって、『丸善外史』(1969年)は丸善にとってどういう扱いなのだろうか? 『丸善百年史』が編纂中だったという。木村毅も序と第二編を担当している。『丸善百年史』(1980年)は現在PDF版で公開されている。社史と外史を同じ人が書くということが持つ意味は読み比べなければ分からない。
木村毅は『早稲田外史』(1964年)を書いている。外史というと我々は頼山陽の『日本外史』を思い浮かべる。『丸善外史』は丸善から出版されている。社内の人が作った社史ではない。自身の回想録のようなものだ。丸善の果たした文藝への影響という側面から書いたと言っている。『丸善社史』(1951)が輸入商社の歴史だったことの対比である。確かに、丸善に知り合いがいて、本を勧めてくれる関係があればそれに越したことはない。
コメント