若島正『乱視読者の英米短篇講義』研究社、2003年
書誌情報
『英語青年』に2001年4月号から2002年3月号までに連載した「アメリカの短篇小説を読む」、2002年4月号から2003年3月号までに連載した「イギリスの短篇小説を読む」に書き下ろしの「シニコー夫人への手紙」を加えて単行本化したものです。
索引と文献リストが付いています。
第1部アメリカ短篇小説を読む
アンブローズ・ビアス
犬畜生
いやあ、小説は心の動きを読むものだと書いたら、若島正氏が「人外」を味わうというのもあると書かれていて、そうだった読み方は読み手の数だけあるのだと改めて思いしらされました。
「わたしはここで「人外」という言葉を思い出します。「にんがい」と読めば、それは人倫を外れること、すなわち人でなしであり、「じんがい」と読めば、人間の住まない世界、この俗世を離れた世界の意味になります。この両義において、ビアスはまさしく人外の作家であった」(P010)。
「にんがい」は「犬油」を、「じんがい」は「アウル・クリーク橋の一事件」を例として挙げています。
後者は筒井康隆氏が『短編小説講義』(岩波新書、1990年)で、「アウル・クリーク橋の一事件」はたしかに名作だと認めているものの、結局ビアスは「死」というテーマと「意外な結末」のダブル・バインドになり、傑作はこの一作しか書けなかったと結論している」(P006)。
これに対し若島正氏は「しかし、こういう読み方および評価はやはり古いのではなかろうか。実際のところ、わたしは結末の意外性を求めてビアスの短編を読んだことがない、そんなことを気にしなくても、充分にビアスはおもしろい」(P006)と言います。
「人外」というとわたしは小栗虫太郎の『人外魔境』(桃源社、1968年)を思い出します。勿論「じんがい」の方です。
『悪魔の事典』のビアスを短編小説から読み解くのは面白いと思ったので、他も読んでみたいと思います。
注)本当は、ヘミングウェイのことを書いていないか期待してみたのですが、索引で見る限り、断片的なエピソードしかありませんでした。
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