『瑞籬の香木』(1976)(その2)

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池田瓢阿『瑞籬の香木』求龍堂、1976年

日本陶磁協会の「陶説」に「瑞籬の香木」が載って、夏頃に見知らぬ女性より手紙が池田瓢阿の元に届いた。以前に勅銘の香木を手に入れたが、何故名香なのかと不審に思っていたことが池田瓢阿の随筆を拝見して得心したという。その上で、「瑞籬の香木」を聴きながらお話をしたいと招くのであった。

池田瓢阿は関西の仕事が出来たついでに嵯峨にある女性の家に伺うことにした。風流な女主人の家で「瑞籬」を聴いたが、たいしたことがないのは池田瓢阿にも分かった。女主人は「赤栴檀(しゃくせんだん)」だという。せっかくなので一木四銘の香を聴かせるといった。柴舟と白菊であった。池田瓢阿は少々驚いた。一木四銘の香は「御水尾帝(ママ)の時一本の大きな香木を四つに切って、皇室と、細川家(末木)伊達家(本木)小堀家(中木)で分木し、それぞれに帝が銘をつけられた。故に一木にして銘を異にし、一木四銘の香木として伝来している」という。

銘の本歌もそのまま引用する。

蘭(ふじばかま) ふじばかまならぬ匂もなかりけり花はちぐさの色かはれども

柴舟 世の中のうきを身につむ柴舟のたかぬ先よりこがれゆくらん

白菊 たぐひありと誰かはいはん末匂ふ秋よりのちの白菊の花

初音 聞くたびにめずらしければほととぎすいつも初音の心地こそすれ

「この四首が銘の典拠でございますと、空んじた(ママ)歌をすらすらと読みくだす人の口元を私は少々あきれた心地でみつめていた」。

皇室が「ふじばかま」、伊達政宗が「柴舟」、細川三斎が「白菊」、小堀遠州が「初音」、を所持伝来されたものであるという。

「香の席が終って点心が供され、抹茶をいただくころには、落ちるに早い陽はとっぷりと暮れて、虫の音も鳴き乱れる夜となった」。池田瓢阿はこの女主人の身の上を尋ねることもできず別れをつげた。

「暗い道をだどりつつ見上げる小倉山の中空には半月がかかっていた。嵯峨の通りの灯が遠くに見えていて、いくら歩いても近づいてこないように感じられた」とある。何とも余韻のある話であった。

注)森鴎外の小説『興津弥五右衛門の遺書』を読むと本木と末木に分かれており「一木三銘」の話となっている。

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