阿満利麿『法然の手紙を読む』ちくま学芸文庫、2025年
第四章 なにが念仏を妨げるのか?
1 本願を疑う(ある人のもとへつかわす御文)
阿満利麿氏は「短文だが、法然の思いが凝縮している名文であろう。繰り返して読んでみたい、暗記しておきたい文である」(p.232)と言う。確かに調子の良い文章である。本願を疑うことだけが、「力及ばざる事」である。
第五章 権力者に答える
外柔内剛(北条政子へつかわすお返事)
北条政子(1157-1225)は源頼朝の正妻で、出家して尼御台そして実朝の死去からは鎌倉殿(尼将軍)となる。
法然への質問状への返答である。第三章の津戸三郎為守宛の建久六年九月十八日付と推定される手紙の中に政子への返事が錯簡したもの(p.103)と阿満利麿氏は推定していた。政子からの手紙と時期が重なっていたという。政子の手紙は「念仏の功徳」についてなされたと推定している。まだ、権力側からの弾圧はない頃のことである。
おわりに
法然の手紙を読んできたわけだが、「随機説法」とか「対機説法」と言われるものであった。
『徒然草』の第三十九段である人が法然上人に尋ねた話が載っている。
「ある人、法然上人に、「念仏の時、眠(ねぶ)りにをかされて行を怠り侍ること、いかがしてこの障りをやめ侍らん」と申しければ、「目の覚めたらんほど念仏し給へ」と答へられたりける、いと尊かりけり。また、「往生は、一定(いちじやう)と思へば一定、不定(ふじやう)と思へば不定なり」と言はれけり。これも尊し。また、「疑ひながらも、念仏すれば往生す」とも言はれけり。これもまた尊し」(『新版 徒然草 現代語訳付き』兼好法師 小川剛生訳注、角川ソフィア文庫、2015年)。
小川剛生氏は、補注14で「この第三条はいわば「疑心往生説」というべきもので、出典未詳とされ、その上第二条とも矛盾し、法然の教義にも背く。しかし、法然門弟が分立された教団のうち、西山流・鎮西流では取り上げられており、とくに後者の教学では、疑心を抱く者にも往生の可能性を認めている」(前掲書p.234)と言う。
阿満利麿氏は、「本願念仏が阿弥陀仏の工夫した「行」であり、称名が「他力」のはたらきであることに、法然の「対機説法」が成立する根拠があるのであろう。もし、人為的な「行」ならぼ、疑いながらも念仏すれば往生する、とは説けなかったからである」(pp.270-271)と言う。
「念仏の救いが、人間の起こす信・不信を超えて成立しているということ」(p.270)を法然は教えているのである。
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