『読書とは何か』(2022)その5

読書時間

三中信宏『読書とは何か 知を捕らえる15の技術』河出新書、2022

3章 読書術(応用篇)の5節からなる。

各節の難読・精読・数読・解読・図読というキーワードはそれだけでは頭に入ってこない。

「読者があまりよく知らない分野の本をどのように読み進むかが主題」(p.159)である。難読の書の例として詩人フェルナンド・ペソア、高橋都彦訳『不安の書』が挙げられていた。エッセイ集的な作品はノードをネットワーク化するという基本手順が使えない。

自分の関心につながるものを見つけることで著者は難読の本を読んでいた。ペレック、阪上脩訳『考える/分類する〈日常生活の社会学〉』は考えることは分類することだという。本を分類することで、ブログを書いてきたからわかるのだが、分類をやめるわけにはいかないのだ。分類ができないということは、理解できてきないことでもある。もっとも、カモノハシのように分類不可能なものもあることは知っていてよい。

精読が必要な本もある。

「本は読まなければ何もわからないのだが、その本だけを読んで自己完結的にすべてが理解できるわけではない」(pp.163-164)。

「その本が属しているもっと広いネットワーク(コミュニティ)まで視野を広げないことには、その本の内容を理解したことにはならないのではないか」(p.164)。

そうして、新興分野での読みの教訓を書いている。「ただ書かれている文を読むだけではなく、もっと積極的に足りない部分や欠けている要素を読者が補いながら読み進む態度を身につける必要があるだろう」(同上)。

数読とは数独ではない。言葉として数式を読む術である。数式は記号や概念の定義を正しく覚えることが勧進という。

解読は「日本語以外の外国語で書かれた本を読むときも基本スタイルは変わりがない」(p.15)という。サンプリングして書かれた内容に関する推論(アブダクション)を繰り返することである。

図読はすこし新しい。「非文字(非テクスト)が本のコンテンツとして重要な構成要素」(p.181)であり、「本文そのものではない本の構成要素を、文学理論家のジェラール・ジュネットは「パラテクスト(paratext)と名付けた」(同上)という。「パラテクストとは、具体的には本文以外の書名(タイトルとサブタイトル)・序文,謝辞、飲用・註などである。もとちろん、それ以外にも、文中に挿入される図像(松田2010)や巻末に付けられる索引(Mulvany 2005)もパラテクストに含まれる」(同上)。

中村雄祐『生きるための読み書き:発展途上国のリテラシー問題』ではリテラシー概念が拡張される。数字や数式のリテラシーをニユーメラシー(numeracy)、図表のリテラシーをヴィジュアル・リテラシー(visual literacy)と主張する。

三中氏は「確かに、視覚的には「文字」と「数字」と「図表」はたがいに異なっている。しかし、この三者はいずれも「認知的人工物(cognitive artifact)」という点ではちがいがない」(p.193)という。

インフォグラフィック・ツールの表現力にはもっと注目してよいと思った。

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