本を片付けながら

断片記憶

気がつけば、本を読んでいる。それだけではない。開いた本に紹介されていて気になる本があれば、もう注文している。

週刊新潮は、JR東海のコマーシャルを読むだけのために買っている。dマガジンでは載せていないので紙のものを買うしかない。これが溜まって邪魔になる。ブログに載せたバックアップを取れば用済みになる。しかし、そんなことは習慣化しなければできやしない。ブログに載せれは放っとかれる。いつだったか買うのをやめてしまって、去年の春にブログを新たにつくったときに、書くことがないので、買うことにした。そのうち書くことを実験にしてからは、知らない人物の話を4回も書くのが苦痛になってきた。

読者のことをあまり考えてはいない。読者も毎日楽しみにしているわけではないだろう。それでも、振り仮名を付けるのは読者のためでもあり、自分のためでもある。今日は読めても明日は読めないかもしれない。今日はわかったつもりでも、明日になればわからなくなる。そんなことを繰り返してきたのは反省をしないからだろう。

自分が店の常連だと思っている人はちょっとした拍子に関係性を失うことが起きる。自分が思っているほど、店側は自分のことを知ってはいない。常連と馴染みは違う。私からみれば常連であることは、慎み深くなることであるから、長居をしないように、店の邪魔にならないように気を遣ってしまう。大体、お互いに名前で話をしないうちは、お馴染みさんではない。そういうこともあって、初めてのところが評判だからといって誘ってもらってもあまり楽しくはない。居心地のよいところに限る。行きつけの店が一番よい。

少し片付けたら、畳が見えた。まだ、二抱えの本を畳に置いているが、新たに用意した10箱で入り切らないくらい、和室に本が入り込んでいたわけだ。もっとも、Tシャツや下着を畳んで押し入れに入れたり、新聞、雑誌を紐で縛って捨てたので、部屋が広く使えるようになった。少なくとも衣類を踏むことがなくなった。今週は消防用設備点検があるので、なんとか格好がついた。

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