外山滋比古『近代読者論』みすず書房、1969年、1972年第3刷
外山滋比古は「読者の誕生」で「読者」の発見を云う。
「ものを読む人、かならずしも、読者ではない。
親しい人から来た手紙を読んでいても、手紙の読者であるとは言わない。本を読むときと、手紙を読むときとでは、読み方がちがう。読者ということばは、まず、書物雑誌、新聞を読むときでないと用いない。読むに当っての、意識の強弱という問題に関係するのであろう。
同じ手紙であっても、自分のところへ来た手紙では読者になることはできないが、たとえば、文学者が他人に宛てた手紙を読む場合は、りっぱに読者である。
読者として、ものを読んでいるときですら、われわらは読むということ自体について、それほど深く考えることをしない。言いかえれば、充分に読者になっていない。自分を意識するかしないか、そこが、読者になるかならぬかの分かれ目である」(P7)。
外山滋比古はイギリス文学を例にとり、シェイクスピアの第一全集がシェイクスピアの死後、1623年に出たことに注目する。
「1623年をもって、イギリス文学に、作者が確立した時と見ることができる」(P10)。
しかし、「読者」はただちには出現しなかったと云う。
「読者がはっきり、最終的に文学上の問題として論議されるようになるのはI・A・リチャーズが『文学批評の原理』を出版した1924年である」(P10)。
「作者からほぼ完全に絶縁された読者がはじめてはっきりと意識された」(P13)。
外山滋比古は、作者の世界に参入しようとするロマンティック・クリティシズムでない「近代批評」の誕生をもって「読者」、すなわち「近代読者」が誕生したことを云うのであろう。「近代批評」を云うのは私の先走りかも知れない。何しろ読み終わって書いているのではなく、書きながら読んでいるのである。「近代読者」とは何だろうと考えて展開を予測するのは危険かも知れない。その意味で、私の書くものについて一定の留保を持って読むことが必要である。
外山滋比古の論の進め方は注意がいる。「近代読者」は「作者からほぼ完全に絶縁された読者」を云うと考えられるが、明確には定義せず、「近代読者」を随所に使い始めてしまう。あとがきには「読むことに自意識をもつ読者というほどの意味」(P357)とある。「外国語の読みを契機としてとらえられた読者像」(P358)と言っている。
「われわれは、めいめい個性的な読者であって、ほかの読者とは必ずどこか違った読み方をしている。作者にスタイルがあるものなら、読者にもスタイルがあるはずである。作家論、作品論というものが存在する以上、それと同じ次元で読者論があってしかるべきではないか、ーーそのように考えるのが「近代読者」である」(P358)。
「近代読者」は「読者意識のある読者」であるが、18世紀を境にして「前近代読者」と「近代読者」が截然と区切れるものではないという。先に挙げた、自分のところに来た手紙を読むのは「前近代読者」であり、音読するのも「前近代読者」であるとする。この辺り厳密に使えていない。自分のところに来た手紙を読むのはそもそも読者ではないと書いているではないか。「近代」という言葉も彼は定義せずに使っている。
「読者意識のある読者」というのも分かりにくい。「作者からほぼ絶縁された読者」であるならば、作品と作者を切り離して、作品そのものを読む読者のことである。作者の意図と関係なく作品を誤読できる読者を「近代読者」と言う。個性的な読み方を認めているのだ。
カバーにある17世紀初頭のドイツの印刷工場により本が大量に作成された。当時の本は貴族や裕福な市民の所有物である。まして、聖書は神のことばであり、「読者」とはなりえない。18世紀になり新編のシェイクスピア全集が出たのは興味深い。
「よりはっきり、読み手のためを考えていた。シェイクスピアの伝記がつけられたり、テクストの方々が読みやすく修正されたり、舞台を見ていないとわかりにくいような箇所には、新たにト書きが書き加えられた。いわば近代的に改装されたのである」(P11)。
以前読んだ明星聖子・納富信留編『テクストとは何か』(2015年)を思い出した。文献学と作品論、読者論の関係を調べたくなった。
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