『前方後円墳の時代』(2020)その2

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近藤義郎『前方後円墳の時代』岩波文庫、2020年

第一章 弥生農耕の成立と性格

稲作がどのように始まったかは、考古学の分野である。本書は弥生農耕の生産手段の話から始まる。弥生初期の稲作が生産性の低い自然の湿潤低地を耕地といて利用したものであったこと。木製の耕具が多種見られることから、栽培技術をもった集団により稲作が行われたことが推定される。稲が自生しているわけではないので、籾を持った人々が日本列島に移住してきたことは間違いない。開拓の規模が小さいことから、各集団の人数は少ないと言う。狩猟採集から順次切り替わっていったのではなく、稲作を採用し、狩猟採集が副次的なものになることが一気に行われたと言う。稲作が労働集約的なものであり、採用する条件が整ったときに採用されたと考えている。

九州北部、西日本が弥生初期の稲作の発達した地であるのは、東日本が冷涼な地であり、不安定ながらも狩猟採集経済で回っていたからである。初期の稲作の不均等発達には場所、自然条件など様々な要因があったと考えられるが、洪水の砂で覆われた水田の上に水田が作られた跡があるところを見ると、自然条件の厳しいところで耕作が行われたことが分かる。今でも台風のよる水害で耕地が泥に埋まることが毎年どこがで起きている。

第二章 鉄器と農業生産の発達

「弥生文化がその成立の当初から鉄器を伴っていた」(P49)。鉄器は朝鮮から調達されたことが考えられる。鉄器が石器の衰退をもたらすことになる。

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