『民衆暴力』(2020)

読書時間

藤野裕子『民衆暴力ーー一揆・暴動・虐殺の日本近代』中公新書、2020年

子安宣邦先生の『「大正」を読み直す』(藤原書店、2016年)の講義を聴いていたとき、「大正」に「大衆社会」の成立を見る視点がありました。

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私は日露戦争(1904-1905)という総力戦を戦った日本は既に「大衆社会」を迎えていたのではないかと考えています。その「大衆」を「民衆」と置き換えてみて、「民衆暴力」としての「日比谷焼き打ち事件」という都市暴動は「大衆社会」の到来の象徴でもあると考えています。

藤野裕子氏の『民衆暴力』の第3章 都市暴動、デモクラシー、ナショナリズムを読むと、日比谷焼き打ち事件について詳細な分析があります。焼き打ちに参加した人々の進路(P104の図)までありました。

「事件が起きた1905年(明治38)9月5日は、日露戦争の講和条約のポーツマス条約が調印される予定だった。この日の昼に日比谷公園で、講和条約の破棄を求める国民大会(政治集会)が開かれた。参加者は二、三万人といわれる」(P97)。

「この国民大会の開催に端を発して、東京市内にまで広がる暴動が起きた。たった二晩で豆腐市内の警察署二ヶ所、分署六ヶ所、派出所・交番二一四ヶ所が焼失したとされる(松本武裕『所謂日比谷焼打事件の研究』)」(P97-98)。

二十世紀初頭に起きた都市の暴動は藤野裕子氏の『都市と暴動の民衆史』(有志舎、2015年)が詳しいのですが、これは専門書なので手が出ません。

第4章「関東大震災時の朝鮮人虐殺」、第5章「民衆にとっての朝鮮人虐殺の論理」を読むと、被差別者への暴力が存在していたことが分かります。そして、この民衆暴力はヘイトスピーチが繰り返される現在にも存在しているのではないかと疑いの目を向けて見るべきでしょう。他国の暴動も差別が原因となっていることは明らかです。

1923年(大正13)9月1日の関東大震災は朝鮮人虐殺の民衆暴力の歴史と覚えておきます。

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