築島裕『歴史的仮名遣い その成立と特徴』吉川弘文館、2014年第2刷
何気に注を見た。
20(1)小松英雄『徒然草抜書 解釈の原点』(昭和58年6月)
本文はというと。
1章 仮名遣いはなぜ起ったか ーーいろは歌の成立とその展開
発音の変化
「仮名遣いはなぜ起ったか」ーーこの問いに対する答えは、必ずしも簡単ではない。実は「仮名遣い」というのは、単に個々の語を仮名で書き表わす場合の規則の問題に止まるのではなく、もっと広く、国語の文全体を書き表わすに当っての、表記法の規準というもののなかで考えられたものだという見方も提出されている(1)のである。
しばらく、小松英雄氏の『徒然草抜書』の序章の頁をめくってみて、定家仮名遣いと歴史的仮名遣いを紹介した文章の中から、「漢字を含めた総合的な文字遣」(P65)、「表記の原理はどのようにあるべきか」(P66)、「一般に、仮名遣は単なる表記上の約束というだけにしか理解されていないようですが、その表記に、しばしば、抜きさしならない解釈が込められていることを強調しておきたいと思います」(P69)などが目に止まった。
小松英雄氏の『徒然草抜書』を読んでいるようで、読めていなかった。日本語の音韻変化の解説が煩わしくて、読み飛ばしていた。漢字を含めた日本語の表記法の規準として「仮名遣い」を考えるのが小松英雄氏の立場と築島裕氏は見ていたのである。
歴史的仮名遣いは契沖による定家仮名遣いの批判に始まった。築島裕氏の定家仮名遣いと契沖の仮名遣いの解説を読んで、歴史的仮名遣いが成立した背景を見ていくことにする。
崩字を読むために何が必要かを考えて、短絡的に歴史的仮名遣いと理解していたが、ことはそう単純ではない。日本語史の問題になるのは当然といえば当然であった。小松英雄の言葉を戒めにメモしておく。
「文学作品はことばで書き記されていますから、作者と心ゆくまで対話を交わそうとするならば、媒体となるのはことばのほかにはありません。したがって、それぞれの作品の成立した時期の日本語について、正確かつ豊富な知識を身につけることが必須の条件であり、達成の上限はありません」(P24)。
『現代語訳 論語』の宮崎市定がいうように、我々一般読書人は古典の現代語訳を読んで楽しむ程度が無難なような気がする。閾値を超えるのは経験上並大抵ではないのである。
注)『現代語訳 論語』(2000)
コメント