日本戰歿學生手記編集委員會編『きけ わだつみのこえ 日本戰歿學生の手記』東大協同組合出版部、1949年
無言館という戦歿画学生慰霊美術館が上田市にある。二度ほど訪れたことがある。画学生の絵だけでなく、手記や葉書も残されている。
日本戦歿学生の手記として編纂された『きけわだつみのこえ』(1949年)は東大戦歿学生手記である『はるかなる山河に』(1947年)を絶版にさせた。収録の偏りについて批判があったという。
光文社のカッパブックスで『きけわだつみのこえ 〈第1集〉』(日本戦歿学生編集委員会編、1959年)があるのを不思議に思っていたが、『きけわだつみのこえ 〈第2集〉』(日本戦歿学生記念会、1966年)はそもそも続編として日本戦歿学生記念会が編集した『戦歿学生の遺書にみる15年戦争』(カッパブックス、1963年)の題名を変えたものだった。何故に光文社が出版することになったのかは分からないが、多湖輝の『頭の体操』(1966年)と並んでいたのを本屋で見て違和感を覚えた記憶がある。
まあ、読まずに済ます本だろうと思っていたら、子安宣邦先生が課題図書にあげられたので読まざるを得なくなって、出版当時のものを手に入れた。さすがに、古くなって活字が読みにくい。
渡邊一夫が感想を小田切秀雄が解説を書いている。
見返しのスケッチが宮古島で戦病死する前の關口清氏の絵を複写したものとある。「もうこれ以上はやせられない」。
題名は藤谷多喜雄氏のもので、歌が寄せられている。
なげけるか いかれるか
はたもだせるか
きけ はてしなきわだつみのこえ
遺書を読むのは辛い。
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