『翻訳問答』(2014)

読書時間

片岡義男 鴻巣友季子『片岡義男×鴻巣友季子 翻訳問答 英語と日本語行ったり来たり』左右社、2014年

このところ、翻訳論の本を何冊か読み返している。本の整理の季節が始まって、段ボール箱から本を出しては戻すことを繰り返している中で翻訳論の本が何冊かでてきた。段ボール箱の裏にあった小さな本箱にも何冊か入っていた。翻訳論の本を読むからといって、翻訳がしたいというわけではない。翻訳論は日本語らしくというが、日本語も変わってきているし、古くさくて読むきのしない日本語もある。そういう本はたとえ名著といわれようが御免だ。

ブログは行き帰りの通勤時間の中だけの話で、日中は仕事の情報のアップデートに追われている。知識も新陳代謝を繰り返すように最新のものに維持される。これができなくなればプロフェッショナルではなくなる。現役を退いて、自分はいつまでプロフェッショナルしているのだろうか。積み重ねは途切れれば終わるので、やめればプロフェッショナルではなくなる。

本箱の写真を見せることができれば、あきらかに自分が何がしかの塊を作ろうといていることが分かると思う。とにかく関係する本が出てこないし、小さくて入りきらない。レファレンスで使う六国史は手元にないと不便なのは分かっているが、探せない。

二言語の世界に生きるとは

これまで読んだ翻訳論は日本語というものを日本人に結びつけて考えるので、日本語がグローバルに開かれるということ、日本人を離れた日本語ということを考えたりはしない。英語との対比で言えば、『翻訳問答』(2014年)はその辺りに焦点が当たっていたはずだ。

「かつては、翻訳された日本語、そしてその本だけが、あったのです。原典があちら、そして日本語訳がこちらですけど、翻訳される前の原典つまり外国語は、存在しないに等しい状態でした。いったん翻訳されると、格段にそうなりますね。いま、そしてこれからは、少なくとも二言語の世界に、人々は生きるのです。ひとつは自分の日本語で、もうひとつが英語であれなにであれ、少なくとも二言語によって、人々の生きる世界は成立するのです。少なくとも二言語、ですよ」(P4-5)。

「そのような世界での日本語は、かつての日本語とは趣が大きく異なっていくでしょうし、そのような世界に向けて翻訳されるその翻訳は、性質も役割も幅は広く内容は複雑になります。翻訳そのものがそうなるのではなく、翻訳するという作業と、その翻訳を受け取る側のありかたが、そうなるのです。翻訳の日本語そのものは、基本的には、読みやすさへと向かいます。いつもの自分の日本語と、二言語世界における英語なら英語の代役としての、国内仕様の日本語から可能なかぎり離れているが故に読みやすい翻訳である日本語との、ふたとおりですね」(P5)。

グローバルな規準と日本のローカルな規準がある。グローバルな規準と同等かも知れないが、厳密には同じではない。ほぼ同じことを言っているという認識だから、翻訳するときに直訳のままにしておくことがある。英語の世界ではガイドブックによって作業をするし、日本語の世界では、指針に基づいて作業をする。このねじれは日本にいるからこそ感じる。米国だけで仕事していれば考えずにすむ。私が長年携わってきたのもクライテリア(規準)を使うフレームワークがない日本のなかで、海外のフレームワーク思考が最終成果物の違いとなって現れることだった。

国内的でない日本語

読みやすさについて、片岡義男氏が予言している文章を読んでいくと、「国内的でない日本語」ということがでてくる。

「読みやすさの重要な一部分として、原文が英語なら、英語で読んでいる気分になりたい、という要求がこれから大きくなっていくだろうと僕は思います。従来の読みやすさとは衝突します。まさに日本語らしい日本語が持つ、いま、そしてこれからという時代とのうっとうしい不適格さかげんが浮き上がると、それは修正されざるを得ません。ほんの一例として、その問題は切り離して別に考えましょう、と言っている原文を、それはそれとして、という日本語にしてはいけない、ということです。翻訳調の日本語、という言いかたがあって、それはおおむね批判の対象だったのですが、翻訳調の文体は正調の日本語と対立するものとして、ある程度まで正しかったのです。進んでいく時代と日本語らしい日本語との不適合の拡大によって、日本語が変化していくのです。国内的ではない日本語へ」(P19)。

この本は2人が7ラウンドの翻訳をして、翻訳したものをネタにして話し合う趣向なので、話は翻訳のテクニックに流れることもあり、翻訳は解釈だということが分かったりする。しかし、「国内的でない日本語」いわば「開かれた日本語」は残念ながら議論が進まなかった。

自分の日本語をどうするのか、還暦過ぎた自分が新たな文体をつくることもないと思うけれど、日本語の問題はこの本のように一つ一つのケースを拾って考えていくのだろうか。しばらくカードを作って遊ぶことにする。

#語学 #英語 #翻訳 #片岡義男 #鴻巣友季子

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