『八瀬童子 歴史と文化』(2007)

読書時間

宇野日出生『八瀬童子 歴史と文化』思文閣出版、2007年

「八瀬(京都市左京区)は,若狭街道(鯖街道)沿い、比叡山西麓を流れる高野川一帯にある、山間の集落」(レファレンス共同データベース)である。八瀬といえばかま風呂というイメージがある。司馬遼太郎が『風神の門』(1962年)の冒頭で霧隠才蔵に八瀬のかま風呂を使わせていた。その八瀬のかま風呂の遺構を見たのは瑠璃光院の秋の特別公開の時であった。

京都に残る伝統芸能である赦免地踊(しゃめんちおどり)を見たのは京都会館の建て直しの前だった。京都の伝統芸能をまとめて見れる機会だった。実際の赦免地踊を見に行こうとということになってある年の秋に秋元神社(八瀬天満宮の摂社)で行われた八瀬赦免地踊を相方と見に行ったのである。

去年の暮れの忘年会を大原山荘でした時、京都八瀬離宮でお茶して時間の調整をした。建物の高い天井を見上げながら、あの祭りの時の暗い山間の集落とこのリゾート地の落差を感じていた。

宇野日出生氏の『八瀬童子 歴史と文化』(思文閣出版、2007年)は2010年に八瀬童子関係資料が重要文化財に指定されたのを記念して、京都文化博物館で「重要文化財指定記念 八瀬童子ー天皇と里人」(2012年12月15日〜2013年1月14日)という企画展が開催された折に求めた本である。京都市歴史資料館の統括主任研究員である宇野日出生氏は同館に寄託された八瀬童子会文書の悉皆調査をした。そして、八瀬童子に関する認識を深めてもらいたいと思い本書を執筆したという。

八瀬童子という山間の村落の自治組織の歴史を見ていくと、大喪大礼での輦(れん)の輿丁(よちょう)としての写真が印象的である。本のカバーの図版は赦免地踊の燈籠着(とろき)の写真である。この対照的な写真を見ながら、八瀬童子を考える読書をしばらくしてみたい。

#京都

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