テクスト選びから始める。

読書時間

小林勝次訳『孟子(上)』岩波文庫、1968年、2003年第46刷

古典を読む場合テクストをどう選ぶかは悩ましい。注なしで読めるものではないが、新しければよいというものでもない。谷沢永一が取り上げていた本は今では入手が難しくなってしまった。図書館でパラパラめくって比較できればよいかと思ったが、そもそもテクストをいく種類も置けないのが図書館である。古書店を歩きまわるか、谷沢永一の挙げている本を通販やオークションで入手することになるのだろうか。

さて、『論語』はテクストとして岩波文庫の金谷治訳注が手頃だ。そして、子安宣邦氏の『思想史家が読む論語』(岩波書店、2010年)で朱子、伊藤仁斎、荻生徂徠、そのほかの読みを比べるのがいい。そして、朱子の読みが気に入ったなら土田健次郎訳注『論語集注 1〜4』(東洋文庫、2013年〜2015年)がある。土田健次郎氏が朱熹のテクストに対し、読み下し、現代語訳、そして伊藤仁斎『論語古注』、荻生徂徠『論語徴』の解釈を併記させた訳注本である。私は1巻を手に入れた。続巻が出るまでに、子安宣邦氏の市民講座を毎月聴くようになって、子安宣邦氏が『論語』に対して伊藤仁斎の解釈を取り上げ、荻生徂徠や吉川幸次郎の解釈をあげたうえで子安宣邦氏が評釈をしていた。『論語』読みにはぴったりだった。子安宣邦氏の市民講座が面白かったので本になった『仁斎論語 上下』(ぺりかん社、2017年)を時々読み返している。

さて、問題は『孟子』である。適当なテクストが何なのか分かっていない。『論語』と違って『孟子』は馴染みが薄い。朱子の注でよいのであるが、選んだ本は趙岐の古注であった。小林勝次の『孟子』は上巻と下巻で厚さがかなり違う。上巻264頁、下巻514頁。読んで行くと編集方針が異なっていることが分かる。もともと、『旧版』の訓読を元に今回、口語訳に改めたのが『新版』であり、訳文を付けている。その経緯はあとがきに書いてあった。

「注釈は『旧版』の脚注のように、普通一般に行なわれている説や異説などは殆ど略して紹介せずに、ただ訳注者の採る説や訳注者の私見つまり結論のみを述べておいたが、この「上巻」の簡略な結論だけの記載法に対して友人や読者などより強い要望もあるので、「下巻」では結論だけではなく、一般の通説や異説などもかなり詳しく載せ、且つ必要に応じて訳注者の私見も述べて、読者の理解の便に供することにした」(下巻、513頁)

何と上巻の反応を見てから編集方針を変えたのだ。大らかである。しかし、上巻はどうしてくれるのだ。「適当な機会に「上巻」の方も若干注を増し加えて「下巻」と足並みをそろえたいものである」という言い訳が514頁に残されている。

上巻

梁恵王章句 上下

公孫丑章句 上下

勝文公章句 上下

下巻

離婁章句 上下

万章章句 上下

告子章句 上下

尽心章句 上下

もともと、フランソワ・ジュリアン著、中島隆博・志野好伸訳『道徳を基礎づける 孟子vs.カント、ルソー、ニーチェ』(講談社学術文庫、2017年)を読むための参照テクストとして買ったのであるが、注のポイントが小さいので明るくないと老眼には優しくない。しばらく、通勤電車で読むことになる。

コメント

タイトルとURLをコピーしました