『古都の門』(1967)

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文/中村直勝、写真/葛西宗誠『古都の門』淡交社、1967年

本をパラパラとめくっていくと含蓄のある言葉がでてきた。「阿登雅喜」とあるのは誰のことかとGoogleで検索したが出てこない。そうだったのかと納得する。

歴史家の中村直勝が書いていることをメモして「門」に込めた意味を考えたい。

「無際無涯の空々漠々たるところに、大の字になって、天下狭し、と暮らし得ない人間は、小さき存在なのか。それとも雄大な存在なのであろうか。

折角の宏々たる広い世界におりながら、何故に、国家だとか、国民だとか、同志だとか、同盟国だとか、非同盟国だとか、敵だとか、味方だとか、いった区別を立てて、対立し、竝立し、いがみ合わねばならないのか。何故に、かくも門戸を立てて、区別し、差別するのか。

世界の平和を唱えながら、世界の統一を野望しながら、何故に、門戸を閉ざして相反撥するのであろうか。

何故に“門”を立てて、門を閉ざすのか」。

古都の門は天災人災により古きを止めるものはない。

本書は御所の建禮門に始まり羅城門遺址で終わる。古都の門だけの歴史も面白いと見たが、一番古い門の羅城門は羅城門遺址を児童公園に止めるのみ。そして、中村直勝が「門」の意味を問うているのが暮れに相応しいと思えてきた。門は通さぬためのものである。

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