『わが人生の断片(下)』(1985)

Goinkyodo通信 読書時間

清水幾太郎『わが人生の断片(下)』文春文庫、1985年

渡部昇一の『発想法』(1981年)を読んでいて、清水幾太郎に触れた箇所で引用していた『わが人生の断片』(上・下 文藝春秋社、1975年)を引用しようとして孫引きになるので控えることにした。それで、寧ろ本の中身を知りたくなって買うことにした。文春文庫だと、ページがずれるので、引用箇所を探すために、結構先読みしてしまった。

下巻は明治四十年から昭和十六年(続)と昭和二十一年から昭和三十五年である。

解説を粕谷一希が「これは戦後知識人の代表的存在であり、社会学者・ジャーナリストとして第一戦を歩みつづけた人間の自叙伝である」(P309)と書いていた。「知識人」という言葉は翻訳語で日常用語ではないので、私が使えるような言葉ではない。

「この自叙伝は、平明な散文によって書かれた社会学入門であり、ジャーナリズムの入門であり、現代史の断面である」(P313)。

戦後生まれの私には戦前の知識は親の話と、僅かに読んだ書物からの知識しかない。戦後の安保闘争の時代はテレビもないので知ることはなかった。明治から昭和の時代を生きた清水幾太郎に興味を惹かれたのは、『論文の書き方』(岩波新書、1959年)で見せた思考の働かせ方であった。ファシズムの中で言論人であり続けるためのレトリックである。

清水幾太郎(1907年〜1988年)のアウトラインを1,000字程度でメモしながら読んでも、本書が昭和35年(1960年)の安保闘争で終わっているので、その後は、この本で書けると予想された『現代思想』(岩波全書、1966年)と『倫理学ノート』(岩波全書、1972年)を読むしかないのか。

戦後を読む軸が欲しいが、そのような便利なものはないのだろう。現代史の年表(自分史)について、千葉雅也氏が「欲望年表」(「自分が何を欲望してきたか」の年表(『増補版 勉強の哲学』(文春文庫、2020年)を書いて自己分析することを薦めていた。このブログを読むことで最近のはわかるけれども、自分の享楽的こだわりで買った本の大半は自分でも分からないまま処分してしまった。

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