上山春平『深層文化論序説』講談社学術文庫、1976年
三つの論文からなる。
1 深層文化論序説
2 人間学の位置
3 縄文の石笛
上山春平が深層文化としての縄文文化への関心について『照葉樹林文化』(1969年)の序説に略述したと書いていたので、序説の中の「日本文化の深層分析」を先に読むことにする。
上山春平が『照葉樹林文化』から引用している箇所をメモしておく。
「私たちが地面の中から縄文土器を掘りおこすという作業は、もともと象徴的な行為であって、それは日本文化の深層から縄文文化を掘りおこす作業のほんの一部にすぎない。したがって、土器の編年という仕事は、こうした深層文化の発掘作業の不可欠な部分には違いないのだが、いうまでもなくその出発点にすぎない。現に私たちが住み、私たちが耕している地面の下から土器を掘り起こし、その制作年代を推定するという作業は、今日の私たちの文化の表層を掘り下げて、深層にひそむものを見つけ出す作業の一環にすぎないのである」(P4)。
上記の文章は『照葉樹林文化』の序説の10P〜11Pにあり、日本文化の深層が「照葉樹林文化」であるという仮説が提示してあった。
私は「縄文の石笛」の石笛(いわぶえと読む)について著者の上山春平が三島由紀夫を措定したの対し鎌田東二氏を思い浮かべていた。法螺貝とともにアイルランドの海岸で拾ったという石笛を吹くのを何度も聴いてきたからである。
さて、話は上山春平へ未知の老人から届いた手紙から始まる。石塚遺跡出土の球根形の石製品が何かの鑑定を求められた上山春平は『照葉樹林文化』では中尾佐助が触れなかったカラスウリの類の根について調べたのである。烏瓜の根を王瓜根(おうかこん)、黄烏瓜の根を天瓜根(てんかこん)とよび、王瓜根からとった澱粉を王瓜粉、天瓜根からとった澱粉を天瓜粉(てんかふん)というのを読んでいくと、私は坂田靖子の『天花粉』(1986年)を思い出していた。
上山春平は石製品のなかの子持ち魚を興味を示して、石笛に注意を払っていなかった。ところが、老人の関税氏と文通し、水戸へ訪ねてみて、石笛の吹奏を聴き、三島由紀夫の『英霊の声』(1966年)を思い起こした。石笛を縄文時代の楽器ではないかと考えたのであった。関氏が掘り出した場所の近くの地層をトレンチして、縄文時代の土器片を確認したところで石塚遺跡の話は終わる。
最後に蛇足として今西錦司の学問の方法論が書いてあってこの掌編の面白さを感じた。
#上山春平
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