事務所に行って床に平積みになっていた森有正と辻邦生の本を手にとって、半端でなく、よく買ったものだと思った。もうすっかり忘れてしまった本が私の選んだ本だったというのを知るのは不思議な気分になる。
今回は、『方法序説』を巡るデカルトからの繋がりで、森有正を読み直すことにする。それなら『デカルトとパスカル』からなのだろうが、森有正の最後の本を選んで辻邦生の解題を読んだ。40年の歳月が過ぎて、辻邦生の解題をもとに森有正の本を読む順番を考えている。40年前の自分がいるわけではないので、読み直すといっても、初めて読むのとそんなに変わりがあるわけではない。
森有正の本は初期から晩年まであるし、全集の日記もある。『エッセイ集成』5巻の文庫も単行本と内容が重なってある。どうせマイブームが長くは続かないという見通しもある。辻邦生が『バビロンの流れのほとりにて』の系統と『遥かなるノートル・ダム』『旅の空の下で』『木々は光を浴びて』に収められエッセイを別個のものとしていることもあり(P182)、読む順番を考えてもよさそうだ。
中江兆民は昭和思想史研究会の課題図書になると思う。ルソーの社会契約論は制度論を考えるとき、参照されるはずで、日本では中江兆民を抜きにルソーを論じるのは難しいからだ。大学で政治思想史を学んだとき、中江兆民は特異な存在だった。この明治のジャーナリストの文体を読むたびに、近代日本を支えた文体、詔勅などとの違いを感じる。近代日本を支えた異様な文体についての興味もあり、漢文なしいは漢文書き下しの明治の書記言語というものを考えざるを得ない。
注)正しくは、饗庭孝男氏の本もかなり平積みになっていた。この評論家の本を残した理由は分からない。何かのきっかけでまた読むようなことがあるのかもしれない。
【思想】
森有正『経験と思想』岩波書店、1977年
森有正『デカルトとパスカル』筑摩書房、1971年、1977年第10刷
松永昌三編集『近代日本思想大系3 中江兆民集』筑摩書房、1974年
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