溜め込み症

断片記憶

ホーディング障害

物を溜め込むホーディング障害(Hoarding disorder)は、書籍にも当てはまるのだろうか。世の例をみると、靴だのレコードだの果てはゴミ屋敷だ。本の溜め込み症は正常な人との区別がつけにくいと考えるが、若者には区別がついているのだろうか。ホーディング障害では捨てるのを拒否する点が挙げられる。捨てられないから溜まる分けである。理屈が通らないところが精神疾患ということになる。となると、若者の指示に従って、本を処分することに同意しているのは、症状が軽いからであろうか。いつも本の片付けをしているのは、物が多いせいで、従って症状も重いのだろうか。数々の疑問が生じるのであるが、私には分からないので、強迫観念より好奇心のせいにしておく。

想い出は物に憑く

物より想い出は旅行を挙げることが多い。家族の旅先での想い出は確かに土産品より記憶に残る。山のようにあった玩具の車は何処にもなくて古いアルバムの中にあるが、本人の記憶にはない。家族で那須の茶臼岳に登った記憶は妙に残っている。しかし、写真は残ってこないし、いつしか旅行の記憶も曖昧になり、ただ楽しかったという想い出だけが残っている。それが何の役に立つのだろうか。50歳を過ぎてから旅行の記録をつけだした。記憶はあてにならないので、記録をとっておけば、楽しかった想い出も慰めになるかと思ったからだ。ただ、それは今そう考えているのであって、当時は何を考えていたのか分からない。日記でも付けていればよかったのかもしれない。記録は物と結びつくと鮮明に記憶を思い出させた。そこで、神社仏閣のパンフレットなども捨てないで置いたのが意外に溜まってしまったという分けだ。記憶が不確かになれば、想い出もなくなると考えたとしたら何らかの強迫観念があったと考えられる。いずれ想い出も置いてこの世を去ることになるのだが、生きているうちに想い出を捨てようとすれば、強迫観念が引き金となってホーディング障害とやらが起きるやもしれぬ。

コレクターではない

物を整理して保管するのがコレクターであるとすれば、超整理法による時間軸で管理しているので、難しいと言わざるを得ない。紙ゴミは写真に撮って捨てるしかないと分かっているが、そんな時間があれば本を読んでいたい。本を読まずにこのブログを書くのも、本を読んだまま、忘れてしまった過去は取り戻せないので、本を読んだら良し悪しをメモしている。ここに書いている以上に書いているのはネットに掲載する内容には制限があるからに他ならない。思想信条の自由である。今読む本を考えるのは、やはり自分にとって楽しい読書をするためであるに違いない。

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