運慶展は観ないで終わる

断片記憶

末法の世に生まれたのが運慶である。

みうらじゅん氏が運慶のデビュー作の大日如来座像に康慶実弟子運慶という銘と花押を入れているのを仏師というより彫刻家ではないかと言う。末法は仏法が衰え、修行して悟るもののいない時代である。

円成寺の大日如来坐像や高野山宝物館の八大童子は見に行ったし、何度か他の展覧会で見る機会もあった。無着・世親菩薩立像は北円堂に何度も会いに行った。重源上人座像は奈良国立博物館に行けば見る。

日曜美術館(2017年10月15日放映)を見て、上野の森まで行かずに展覧会は終わった。観に行こうという気力が何故か湧いてこないのであった。運気もこのまま衰運へと向かうのだろうか。来年が八方塞がりの年であるならば、運気は衰運ではない。変動が大きければ慎重でなければならぬ。知識基盤の拡張は諦め、現状の知識の更新にとどめることで、割ける時間を古典の精読に充てたい。

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