中村真一郎『頼山陽とその時代 上』ちくま学芸文庫、2017年
(書誌情報)
1971年に中央公論社で刊行され、1976年から1977年にかけて中公文庫3巻となった。今回はちくま学芸文庫で上下巻となって出版された。下巻が厚い。
漢字は新字体、訓読文は歴史的仮名遣いである。人名索引が追加された。
第1部まえがき
中村真一郎の本を本屋で見かけることは少なくなった。本書は、中村真一郎が神経症を患い、その回復期に伝記を読むことをしたと書いている。40歳を過ぎた頃のことである。「今まで、人は生まれて、仕事をして、死んで行く、という経過が、ひとつの完成した作品のように見えていたのが、そうではなくて、無数の可能性の中途半端な実現の束が、人の一生なのではないか、と思われてきたのだった」(上 P011)。
頼山陽は『日本外史』の鈔本を読んだくらいでどちらかというと好きではなかったようだ。しかし、好尚木崎愛吉の『頼山陽全伝』を読むことで、頼山陽の二十歳前後の行動の不可解さを神経症と考えるようになり、我が事のように思うようになった。
神経症という意味で、中村真一郎は藤原定家、頼山陽、夏目漱石を日本の三大神経衰弱作家として挙げている。面白い視点だと思った。
そもそも『頼山陽とその時代 上』を読むことになったのは、縁ができたからだった。京都にある山紫水明處を訪れ、頼山陽の生涯の概略を案内人から聴いて、忘れていた存在を思い出したのだった。
『頼山陽とその時代 上』その2
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