大岡信『朝日評伝選4 岡倉天心』朝日新聞社、1975年
大岡信氏逝くでも書いたが、岡倉天心に関する評伝本は40年という時の経過で本に付いてるカバーや帯は時の風化を受けている。しかし、手掛かりはそれしかない。
第1章 種子の中にある力、そして文章のこと
大岡信は岡倉天心の文体に着目した。岡倉天心の文語文の格調高さと岡倉天心の著述が英語で書かれたことの関係を考えている。
1893年の中国美術視察旅行の後に書かれた「支那南北の区別」(『國華』第54号、1894年)を引用して、「天心の幼児からの漢詩文の素養が、天性の直感力、また分析・綜合力と相擁して、きびきびした生気ある文体を生みだしている」(P20)と評している。
我々が今日も岡倉天心を読むことができるのは彼の著作が英語でなされたことによる。「彼の英文は、彼がこれらを日本語で書いた場合に予想される佶屈たる漢語にみちた文体よりはずっと平明であり、それの翻訳はまた一層の平明さを心がけるようになってきている」(P23)。
岡倉天心の文体とは何か。英語の翻訳として読み継がれて行く彼の文体と彼の佶屈たる漢語調の文体の違いに途惑わざるを得ない。
当時、内村鑑三も英語で書いていた。内村鑑三もまた代表的著作が英語で書かれ翻訳で読まれている。大岡信は内村鑑三と岡倉天心を対比する。こういう評伝も珍しい。内村鑑三との対比に20頁も寄り道した。確かに2人の理想の述べ方の違いを感じるが、2人が詩人でもあるにしても、同時代を生きた内村鑑三と岡倉天心にはそもそも接点がないのである。
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