大岡信氏逝く

断片記憶

大岡信『朝日評伝選4 岡倉天心』朝日新聞社、1975年

大岡信氏が亡くなった(2017年4月5日)。

事務所へ行き本を探そうと書棚を見たが、目的とは違う本に目が止まった。岡倉天心について書いた本である。大岡信は美術史家でもないし、思想家でもない。詩人あるいは批評家と言っていい。

岡倉天心を読み直そうと思って書棚から引き出した梅原猛編『近代日本思想大系 岡倉天心集』(筑摩書房、1976年)も手がついていない。そのまま椅子に置いてあった。

大岡信は序に五浦行を書いていた。40年以上前の私がどうしてこの本を買ったのかも覚えていないが、それで読む気になって二冊持って事務所から電車で研究所へ向かった。

本書は書下ろしである。本書の中で、大岡信は岡倉天心を詩人として扱っている。これなら無理なく大岡信が論じることができる。しかし、岡倉天心は詩人なのか?

梅原猛氏も解説のなかで「たとえ彼のなかにある熱い詩人の血が…」と書いている。岡倉天心は詩人とみられているのか。この時分に岡倉天心の見直しがあったのだろうか。どうやら読む準備が整ったようである。

さて、序の五浦行である。大岡信の前に、河上徹太郎が『日本のアウトサイダー』(1960年)で五浦を訪れていた。大岡信が訪れる17年前のことだが、それからも荒廃は進んでいた。今を見に行きたくなった。

『岡倉天心』(1975)を読む

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