SCREENIG『インターネットの次に来るもの』(その6)

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ケヴィン・ケリー、服部桂訳『インターネットの次に来るもの』NHK出版、2016年第3刷

SCREENIG

SCREENIGは情報を受取るメディアの進化の話だ。いわゆるどこでもスクリーンで、自分に特化した情報が流れ続ける。腕時計もスクリーンだし、壁紙にはお気に入りの写真が写し出される。冷蔵庫のスクリーンには賞味期限を加味して食材を買うオススメが出るので、卵を買い忘れることもない。

新聞は情報を固定化したものだったが、電子版を読んでみると、どんどん紙面が変わる。すなわちリアルタイムに近づく。朝刊・夕刊は紙面を固定したものだ。しかし、速報は流れ続けている。これは、FLOWINGでもある。

昔、Japan Timesを読んで紙面の違いに気がついた。宅配されたものと、駅売でEditionが違っていて、我々は時間を止めたものを読んでいた。新聞ではなくて旧聞だ。未来ではSCREENIGを通じて際限なく写し出される。Editionレスの世界だ。

SF映画の『マイノリティ・リポート』(2002年)で人々の読んでいる新聞紙面がみるみるアップデートされるのを見た。SCREENIGであれば、何もかもが情報を写し出しているはずだが、SFは象徴するものだけを強調してみせるだけだ。2017年の電車の中では新聞を読む人を見かけるよりは、スマホのスクリーンを見ている人ばかりだ。2054年には指名手配されていることを主人公が新聞(折り曲げられるスクリーン)で知るという呑気なことはいってられず、見ることは見られることだから、スクリーンがパーソナル化すれば、自身のアイデンティティに特化したスクリーンしか見ない。自分が指名手配されたことを自身の情報としてあらゆるスクリーンが教えてくれるはずだ。

本についてはREMIXINGにより、引用され、改編され、パーソナル化される話のほうが面白い。著作権の関係で自分の名前をいれた版がPDFになっているものを買うのをみると、パーソナルな版は既に無数にあることが分かる。シャーロック・ホームズはコナン・ドイル版だけではない。熱心なファンによりいくつもり違った物語が創り出されて続けている。

本を引用する技術は確立しが、映像を引用する技術はまだ確立いてしない。あるシーンをリンクで引用しようとしても現状では戸惑うばかりだ。そうこうしているうちに、EPUBがでてページが流動化してしまい。何ページに書かれたものを引用することはできなくなった。読むためのスクリーンにより、ページが異なるのだ。我々は元となる版からリンクできる。したがって、本はWebページになることで物質性を失い、購読形態からも雑誌とかと区別ができなくなる。

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