渡辺京二『私のロシア文学』文春学藝ライブラリー、2016年
渡辺京二氏が、熊本の真宗寺で西洋文学の話をした記録を季刊『道標』に連載したもの4講に書き下ろし1講と著者の好きな19世紀ロシア文学の回想を加えたものを単行本でなく文庫にした。
今年出した本の『父母の記』はまだ手にしていないが、いずれ読むことと分かっていながらも、未読の山に加えるのは躊躇している。本や思想に関しては読んだとしても、渡辺京二氏の人生を知りたいとは思わない。一般的なエッセイも読んだが物足りなかった。本に関する話は面白いのである。私が読んだことのないロシア文学の話が語られるのを聴くように読むのは気持ち良い。
第1講 プーシキン『エヴゲーニイ・オネーギン』を読む
第2講 ブーニン『暗い並木道』を読む
第3講 チェーホフ『犬を連れた奥さん』を読む
第4講 プーシキン『大尉の娘』を読む
書き下ろし
第5講 ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』を読む。
ロシア文学と私
編集部が参考図書を作成してくれているので参考にしたい。関連年表は1799年のプーシキンの生誕に始まり、1991年のソ連崩壊で終わる。
私はある時ブーニンを読もうと思ったが、ジュンク堂に置いてなかった。ノーベル文学賞作家の本がないことに驚きを覚えたのだった。著者は「かつての日本では、西洋文学の紹介のレヴェルは相当に高くて、その高さは昭和30年代までは続いていたのですが、その後サブカルチャー、おもしろ文化全盛の時代がやって来て、西洋文学についての教養など崩壊してしまいました」(P75)と書いている。
講演を基にしているので、語りかける口調となっている。
「ブーニンが日常を断ち切って非日常を示すのに対して、チェーホフは闖入した非日常を日常に転化しようとしているのです。ブーニンが永遠を垣間見る瞬間を死や別れによって凝固させるのに対して、チェーホフは舞いおりた永遠=真実を日常につなげてゆこうとしています」(P121)などを読むと、原作が読みたくなる。
ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』を読むでは、著者が「謎に満ちた圧倒的傑作」と評価している。ちょっと長いが著者によるまとめがあるのでメモしておく。
「スターリンの全体主義体制が完成した1930年代のモスクワに、こともあろうにサタンが出現して、ソビエト社会を散々愚弄したあげく、表現の自由を奪われて精神病院に閉じこめられていた作家を救出して消え去るといった物語を、あの大粛清時代にひそかに書きあげて、筺底にしまっていた作家がいたというだけでもおどろきです」(P178)。
う〜ん。渡辺京二氏の宣伝がうますぎる。是非とも読みたくなる。水野忠夫訳で岩波文庫から上下2巻で2015年に出ているのに気がつかなかったのが残念だ。津田左右吉の本だけでも大変なので、渡辺京二氏の講義を読むことで満足せねばなるまい。
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