谷川健一の『魔の系譜』(講談社学術文庫、1984年)はもっと早く出会っておきたかった本の一つだ。
本書の主題
「本書は私の著作のなかでもっとも初期に属するものである。それだけではなく、私はそれまで胸中に溜めておいた一つの主題を、本書の中で一気に吐き出した」(P3)。
「個人にせよ、集団にせよ、歴史の形象をとおり抜けていく炎のゆらぎ、その名づけようのないものを、私はかりに魔と呼んで、追ってみたのが本書である」(P3)。
「日本の歴史には、外国の歴史とただ一点ちがった特徴がある。それは敗者が勝者を、また死者が生者を動かしているということである」(P4)。
魔とは「歴史の基底面を流れる脈々とした情念」(P4)
「死者の魔が支配する歴史」(P12)。
「この魔の伝承の歴史ーーをぬきにして、私は日本の歴史は語れないと思うのだ」(P12)。
目次
「学術文庫」のためのまえがき
怨念の序章
聖なる動物
崇徳上皇
バスチャン考
仮面と人形
再生と転生
地霊の叫び
魂虫譚
犬神考
狂笑の論理
装飾古墳
あとがき
解説(宮田登)
本書の論点
解説で宮田登氏は3点あげている。
第1 日本の王権を支えてきた影の部分を、魔の系譜としてとらえようとした点。「崇徳上皇」
第2 日本思想の独自性という命題を、外来宗教であるキリスト教の土着過程の中から解明しょうとしている点。
「バスチャン考」「再生と転生」
第3 著者が南島や東北地方といった中央に対する地方、周縁部からの視点を強烈に打ちだしている点。
「仮面と人形」「地霊の叫び」「魂虫譚」「犬神考」「聖なる動物」「狂笑の論理」「装飾古墳」
魂虫譚
「イナゴに蝗の字をあてるのは、イナゴが虫の王と畏怖されるほどの害を及ぼすからだと、私は勝手に解釈している。」(P187)。
確かに、古代中国では飛蝗の害は恐れられた。
本章は享保年間の飢饉を扱っている。旱魃と蝗(ここではウンカ)の大量発生が原因とされている。
久留米藩で飢饉時の困窮対処をした稲次因幡正誠(まささね)の死後、領内の農民が正誠の遺徳を追慕し、五穀神社を建てた。その他松山藩の話など、政治の犠牲者を祀る神社が建てられた話を集めている。
「農民たちは、自分たちの味方となって政治の犠牲者となったものを忘れはしない。」(P206)と結ぶ。
聖なる動物
著者は茅野市尖石(とがりいし)縄文考古館での出合の瞬間を書いている。「私ははじめて土器の口縁部にうねる蛇のすがたを見た。草むらで蛇と出合ったときの、はっと息を呑むような、なまなましさとしなやかさとをその蛇がもっているのに私はおどろいた」。蛇身装飾土器は著者の縄文土器、ひいては縄文時代のイメージを一変させたという。
茅野には何度も行ったけど、蛇体把手付深鉢になんと縄文のビーナス(国宝)に仮面の女神(国宝)まであるのか。尖石縄文考古館恐るべし。
茅野市尖石縄文考古館
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