谷沢永一『近代日本文学史の構想』晶文社、1964年、1977年第2刷
谷沢永一氏の書いたものを読んで来たのは『紙つぶて』以降の文体だったので、『近代日本文学史の構想』(晶文社、1964年)の文体を読んで、厳密さを追求するあまり、長くなった文のペースに合わなくて、10分も読まずに眠くなるのを繰り返した。
例えば、「日本近代文学の存立条件」の第1パラグラフは次の2文からなる。
「日本近代文学は、欧米諸国の他の先進資本主義社会が生んだ文学のどの系列と較べても、掛け値なく、絶対に遜色のない機能的遺産を積み重ねて来た。即ち、日本近代文学は、同時代及び後続世代の、各時期に於ける社会構成成員の限られたどれか一部分に対してでなく、横にも縦にも十分に広がりと幅とを持った各階層の、立脚基盤を異にするそれぞれの精神内部の奥深い襞にじっくりとくいこみ、生活感情では互いにはっきりと隔差を持つ各個人にとっても、やはり欠くべからざる心の糧として、共に依存しなけらばならぬ存在として、社会的に貴重な機能を根強く絶え間なく発揮しつつ、生き続けて来たのである」(P9)。
読むそばから忘れてしまう今の私の能力では、この鎧を着た文体の痛々しさを感じるのが精一杯である。谷沢永一先生も30代の頃は、肩に力の入った文章を書いていた。
丸山有彦氏のブログを読んだら「線を引いて本を読む方法:丸山茂雄の読書法」とあるではないか、色を使い要素に分けて読むという。
「丸山茂雄の方法が独特なのは、<重要だから線を引くっていうのじゃないのよ>という点です。自分の気に入ったところに線を引くのでもありません。内容を正確に読み取るために、多色の線で文の要素を確認していきます。ゆっくり確実に本が読めるはずです」。
英文解釈の方法ともいうべき文法解析的読書法で読む本は限られていると思われるが、間違いなく谷沢永一氏の『近代日本文学史の構想』はその一つである。
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